ファイナンス 2021年10月号 No.671
51/94

プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融テナント賃貸料の水準をみると、ほぼ前面の路線価と連動していることがわかる(図4)。若干遅れて地権者への賃借料が下がっていた。空き区画が目立って多かったわけではないが、賃料水準が当初想定したのに比べ大きく下回ったため、初期投資の回収に至らなかった。公民の支援の下、何度か再建策が講じられた。市が出資する第三セクターにもかかわらず市中銀行は元金繰延や利息低減、最終的には事実上の債務免除も応じた。市も追加の出資や貸付などを行った。しかし薬石効なく商業フロアの営業から撤退し、第三セクターを清算することになった。平成29年2月末には1階から4階にあった商業フロアからテナントが一斉に撤退。市はアウガに対する債権を放棄することになった。17億5300万円の市民負担に対する責任をとり市長は辞任。管理職除く一般職員も1年間にわたる1%~3%の給与削減を甘受した。民間商業が出店を躊躇するほど難易度が高いのが中心市街地の活性化だ。自治体らしい、リスクを取った果敢な挑戦だったが、市の一般職員が部分的にであれリスクに伴う連帯責任を被った前例となった。アウガは改修を経て平成30年に市の「駅前庁舎」となった。アウガ後のコンパクトシティの行く末平成19年(2007)に全国で初めて認定を受けた中心市街地活性化基本計画は平成29年度末で終了。居住人口の減少に歯止めがかからず、空き店舗率も横ばいだ。再開発の一環だが昨年は中三百貨店が閉店。中心市街地の大型店は駅ビルとさくら野百貨店となった。やはり往時の賑わいを戻すのは難しいのだろうか。青森の街は、桟橋前から駅前に賑わいの中心が主要交通手段の変遷とともに移ってきた。自動車の時代に街の中心がバイパス前に移るのは自然の成り行きだ。しかしここでいう街の中心はあくまで商業におけるもの。ここで視点を切り替えたい。つまりコンパクトシティは商業の再集積を目指すものとは限らない。大事なのは「住まう街」としてのコンパクトシティである。そもそも青森は有数の豪雪都市だ。除雪作業など都市機能の維持コストが高い。住民にしても高齢化が進む中、雪かき負担の少ない都心居住のニーズはある。SDGs目標「住み続けられるまちづくりを」を引き合いにするまでもなくコンパクトシティの妥当性は青森市にこそあるだろう。中心市街地活性化基本計画は終了したが、「立地適正化計画」を通じた都心居住を促す取組みは続いている。他方、コロナ禍以前の数年をみると観光目的の入り込みは増えていた。マグネット役を果たしているのがかつての交通拠点、水産拠点であったウォーターフロント地区だ。かつての産業遺産の大部分が観光拠点となった。安方魚市場の跡地はアスパムになりその周りは「青い海公園」となった。元の連絡船の埠頭には八甲田丸が係留され博物館になっている。ねぶたの家「ワ・ラッセ」のようなねぶた展示館もできた。工場をイメージした外観のA-FACTORYはご当地スイーツが並ぶ商業施設で、中にはシードル工房もある。ウォーターフロント地区の公園化は観光振興に一役買っているがそれだけではない。都市住民の憩いの場になることで街なか居住の魅力も高めている。回りまわって住まう街としてのコンパクトシティの実現に貢献していることに気づく。図4 アウガのテナント賃貸料と路線価89898590879392959710098065432125201510501617181920212223242526(万円)稼働率(%)(万円)(年度)(出所)青森市「新生アウガを目指して(案)」平成28年5月2日修正版、青森駅前    再開発ビル株式会社業務報告、国税庁路線価などから筆者作成賃貸可能面積当りテナント賃貸料(左軸)賃借面積当り賃借料(左軸)アウガ前の路線価(右軸) ファイナンス 2021 Oct.47路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

元のページ  ../index.html#51

このブックを見る