ファイナンス 2021年10月号 No.671
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ツに留学した。約8年に及んだ留学生活では、放蕩三昧の日々を送っていた時期もあったようだが、最後は一念発起して哲学や経済学を学び、博士号を取得した。(2)帰国後の活躍帰国後は一転して実業界に身を置くことになり、経営危機に陥った日本メリヤス、日本鉛管、日活、東京電灯、入山採炭(後の常磐炭鉱)や王子製紙などの整理・改革に携わる。そして、30数社に及ぶ企業や、70を越す団体の要職を歴任した。その主なものは、東京株式取引所理事長、日本商工会議所会頭、東京商工会議所会頭、日本工業倶楽部専務理事などであり、まさに財界の世話役であったと言える。珍しいところでは、渋沢栄一の推薦で、大正15年(1926年)、嘉納治五郎講道館の初代後援会長にも就任している。渋沢栄一は死の直前、「自分の亡き後は郷君(誠之助)によろしくお頼みしたい」という遺言を伝えており、財界の後継者として誠之助を位置づけていたことが伺える。4おわりに残念ながら、郷純造、誠之助親子のことは、地元の岐阜でもほとんど知られていない。かくいう筆者も、岐阜での生活は三年目になるが、まことにお恥ずかしながら、先日、二人に関する記事が地元の新聞に掲載されるまで、初代大蔵次官が岐阜の人だったとは知らなかった。新聞記事を見て、これも何かの縁かと思い、地元の研究家の方に詳しいお話を伺ったところ、これまで書いてきたような興味深い事実を色々教えていただいたので、是非「ファイナンス」で紹介したいと思い、本稿を執筆させていただいた。本稿をきっかけに、郷親子に関心を少しでも持っていただければ、筆者としてこれに勝る喜びはない。最後に、本稿執筆にあたり、貴重な史料をご提供いただき、またインタビューに快く応じていただいた、郷家現当主の郷和彦さん、ご子息の学さん、地元の歴史研究会(黒野城と加藤貞泰公研究会)の河口耕三会長、そして三人をご紹介いただいた平野恭子県議会議員に、この場を借りて深く感謝申し上げます。参考文献「実業之日本社」明治42年(1909年)7月発行「大久保利通文書 四」日本史籍協会編 東京大学出版会「明治前期財政経済史料集成 第九巻」大内兵衛、土屋喬雄編 明治文献資料刊行会「明治初期の財政構造改革・累積債務処理とその影響」大森徹(日本銀行金融研究所「金融研究」2001年9月所収)〈写真3〉郷誠之助〈写真4〉岐阜市黒野の郷親子生誕地案内板にて。右から、河口会長、筆者、郷和彦さん。 ファイナンス 2021 Oct.17初代大蔵省事務次官を知っていますか?SPOT

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