ファイナンス 2021年9月号 No.670
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過疎地だからできる!IT起業家の育成と、未来の課題解決への挑戦八幡平市商工観光課 企業立地推進係長中軽米 真人世界中から、定員の数十倍もの応募が殺到する。そんな起業家育成事業が、岩手の片田舎で行われているのをご存知でしょうか。志の高い仲間たちと起居をともにしながら、短期間でウェブサービスやアプリを独力でリリースできるだけの技術と、ビジネスに必要な知識をも習得。修了後に起業する例も珍しくなく、人口2万4千人の市内だけで10社以上が立ち上がっている。それが、起業志民プロジェクトのスパルタキャンプです。よく「過疎地なのに、どうしてそんなことが可能なのか?」と聞かれるのですが、いつもこう答えています。過疎地だから、できるのです。1変化を受け容れる「まちの遺伝子」八幡平市は北東北の中央に位置し、幕政時代の南部盛岡藩における交易の要衝として栄えました。明治末期から本格的に開発された松尾鉱山は、アジア最大の硫黄産出量を誇り、「雲上の楽園」と呼ばれるほどに隆盛を極めましたが、大気汚染防止のために原油から脱硫された副産物とのコスト競争に敗れ、昭和47年(1972)に閉山。基幹産業が経営不振に陥っていく中で、次代の産業として観光へのシフトを図りました。十和田国立公園への八幡平エリアの編入を果たし、折よく高度経済成長に伴う観光ブームなどを捉えたことで、まちの産業構造の転換に成功。製造業の分野では立地環境を整えて高い技術を持つ企業を多数誘致し、農業面でも特産の安代リンドウを南半球において栽培することで欧州へ通年輸出の体制を整えました。山奥の過疎地ながらも、時代の潮流を捉え、変化を受け容れ続けることが「まちの遺伝子」として根付いている。八幡平市は、そんなまちです。2向き合うべき問いは、「望む仕事がない」こと新たな産業を興し、工業や農業の分野で世界的なプレゼンスを得ても、人口は減り続けました。他市町村で取り組んでいるような子育て支援などのトレンドは一通り抑えていたにも関わらず、松尾鉱山の最盛期であった昭和35年(1960)に53,805人を数えた人口は減り続け、往時から半減してしまいました。どんな事業であれ成果を挙げるには、まず背景にある核心を突いた課題を見つけなくてはなりません。なぜ人口減という社会現象が起き続けているのか、まずはこのイシューを探るところから始めました。さまざまな資料を分析する中で、市内で出生した者のうち22才までに約3割が市外へ転出し、約20年周期で出生数が半減している事実を突き止めました。転出した人になぜ帰って来ないのか大規模にアンケートをした結果、希望する職がないことが一番に上げられ、県内大学の進路状況で上位を占めるのは、市内にない情報通信などの企業でした。人が都市へと移動するのは、望む仕事がないからだったのです。八幡平市観光名所として人気を集める八幡平ドラゴンアイ84 ファイナンス 2021 Sep.連載各地の話題

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