ファイナンス 2021年9月号 No.670
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帯にあった。平成元年(1989)の横浜博覧会が鏑矢となった「みなとみらい21」である。ここでバイパス道は、北仲通再開発地区から横浜ポートサイド地区を結ぶみなとみらい大通だ。みなとみらい地区はグランモール公園が街を貫く大通となり、その外縁を車道が囲む街割りだ。平成5年(1993)、桜木町駅側にランドマークタワーが竣工。近くには横浜銀行の本店が関内から移転してきた。平成16年(2004)の地下鉄みなとみらい線の開業後も発展を続けている。劇場型スポーツ施設と公園まちづくり横浜松坂屋は建物の老朽化もあって平成20年(2008)に閉店。本館は解体され西館が残った。オデヲン座付近の映画館街も今はなく、伊勢佐木町は押しも押されぬ商業中心地というより各店の個性を生かした商店街になった。そして関内はビジネス街を保ちつつ、近代の遺産を生かした趣のある街になっている。新たな役割の下の活性化において牽引役と期待されるのが関内駅周辺の改造計画だ。令和2年の関内駅周辺地区エリアコンセプトプランでは関内駅周辺を「国際的な産学連携」「観光・集客」の拠点と位置付けた。目玉のひとつが旧横浜市庁舎の再整備だ。庁舎は村野藤吾の設計で昭和34年(1959)竣工。モダニズム建築の傑作として知られる。その歴史的価値から保存されることとなり、行政棟をリノベーションのうえ、ホテルに生まれ変わることになった。区画内には33階建タワー棟を新築。低層棟にはライブビューイング施設や商業施設を置き、一大集客拠点となる。市街図からもわかるように関内は横浜スタジアムと日本大通が街の背骨になっている。「観るスポーツ」施設が街の中心になる点、ローマのコロッセオを想起する。目下、横浜文化体育館の再整備事業が進んでおりサブアリーナ(武道館・3500席)は昨年7月に完成。3年後(2024年)にはメインアリーナ(5000席)が完成する。屋内外のスポーツ施設が街の集客装置となっている。日本大通は明治3年(1870)にR・H・ブラントンが設計したわが国初の西洋式街路である。平成14年(2002年)に完成した再整備で車道を22mから9mに減幅し4車線から2車線に減らした。植樹帯に接する両側1車線分の歩道を拡げた。歩道にはオープンカフェが並んでいる。図6はイベントの開催で歩行者専用になった日本大通の風景だ。手前に見えるのが昭和3年(1928)に建てられた旧関東財務局横浜財務事務所だ。現在は横浜DeNAベイスターズのTHE BAYSで球団のコンセプトショップ等が入っている。コンセプトプランの前提に2つの都市軸がある。ひとつは日本大通から横浜公園、園内の横浜スタジアムに整備されたペデストリアンデッキを渡り、数年後に変貌する旧市庁舎エリアを抜け、大通公園に至る軸である。「緑の軸線」という。もうひとつはみなと大通のシンボルロードである。みなと大通の南端は、新港の赤レンガ倉庫群と山下公園をつなぐ「象の鼻パーク」だ。みなと大通は税関、県庁、開港記念会館の横浜3塔をつなぐ通りでもある。象の鼻パークから横浜3塔を通り、横浜スタジアムと横浜市庁舎の間を抜け、横浜文化体育館に至る軸線となる。日本大通のように車道を減らし歩道を拡げ、歩行者中心のシンボルロードにすることで、横浜の近代遺産と新たな集客装置を点から線、そして面の脈絡にしようとするものだ。劇場型スポーツ施設を中心に公園化した街路が軸となり、エリアに散らばるコンテンツの輝きが星座のようにまとめ上がる。集客が回遊を生み、関内駅に隣接する伊勢佐木町を含め、関内周辺エリアの活性化が期待される。駅前、みなとみらいの経緯が横浜発祥の地でどのように生きるのか楽しみだ。プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融 ファイナンス 2021 Sep.75路線価でひもとく街の歴史図6 旧横浜財務事務所と日本大通(筆者撮影)連載路線価でひもとく街の歴史

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