ファイナンス 2021年9月号 No.670
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方銀行、横浜銀行の発祥の地がある。大正9年(1920)、旧七十四銀行の店舗を継承し、横浜興信銀行が開業した。七十四銀行の前身は明治11(1878)の第七十四国立銀行である。「横浜興信銀行」設立の碑によれば、この場所に明治38年(1905)築の七十四銀行の本店があった。日本大通に近づくと官庁街となる。このエリアの近代建築を語るに外せないのが横浜3塔だ。日本大通り近辺に塔屋を持つ建物が3つあり、それぞれ県庁舎がキング、横浜税関がクイーン、横浜市開港記念会館がジャックの塔として親しまれている。日本大通に面する神奈川県庁舎。洋風建築に和風の屋根が載った「帝冠様式」である。昭和3年(1928)の完成。鉄筋コンクリート造5階建。次に、クイーンの塔を持つ横浜税関本館。昭和9年(1934)の建築で鉄骨鉄筋コンクリート造5階建。最後はジャックの塔を擁する横浜市開港記念会館(図4)。大正6年(1917)、開港50周年の記念に建てられた市民会館である。白い花崗岩を挟んでアクセントにした赤レンガの外壁が特徴で、フリークラシック様式あるいは「辰野式」と呼ばれる。辰野金吾が設計した東京都の赤レンガ駅舎と同じ様式だ。街の中心は伊勢佐木町から横浜駅前へ他方、商業中心地は馬車道を吉田川を渡った向こう側の伊勢佐木町にあった。大正5年(1916)の土地宝典によればこの時点で地価等級が関内を上回っていた。通りの地域一番店が野澤屋百貨店である。元治1年(1864)、茂木惣兵衛が関内弁天町で創業。明治43年(1910)、伊勢佐木町に支店を出し、大正10年(1921)に鉄筋コンクリート4階建の新館を建築した。昭和6年(1931)、隣に越前屋百貨店ができた。後に横浜松屋となる。通りの2大百貨店で戦後も野澤屋と横浜松屋が並び立っていた。その後、野澤屋は松坂屋の傘下に入り、横浜松屋が撤退。昭和52年(1977)に横浜松坂屋の本館と西館になった。さて、最も古い最高路線価地点は昭和34年の「長者町6丁目 秀竹食堂前伊勢佐木町通」である。秀竹食堂は、日本初の洋画封切館で知られるオデヲン座、今はドン・キホーテがある場所の向かい側だ。その後「野澤屋百貨店前」に移った。一方で横浜駅西口が急速に発展していた。駅西口一帯は元々入り江だったところの埋め立て地で、戦前はスタンダード石油の油槽所予定地があった。昭和27年(1952)に相模鉄道が買収。販売、飲食、娯楽の3要素を備えた市街地の開発計画が始動した。昭和31年(1956)、アーケード商店街の横浜駅名品街、高島屋ストアが開店(図5)。昭和34年(1959)に横浜高島屋となった。鉄道の便に勝る駅前に人が集まり、ダイヤモンド地下街が開業した次の年、昭和40年(1965)に最高路線価地点が伊勢佐木町から「南幸1丁目横浜駅西口商店街」に移転。昭和44年(1969)に「横浜駅西口名品街」となった。昭和55年(1980)に「横浜高島屋前横浜駅西口バスターミナル前通」となり現在に至る。90年代に入り、全国各地の地方都市で車社会化に伴い郊外のバイパス沿いへ大型モールの進出が相次いでいたが、横浜の場合、フロンティアは臨海工業地74 ファイナンス 2021 Sep.図4 開港記念会館のジャックの塔(筆者撮影)図5 駅西口の横浜駅名品街と高島屋ストア(相鉄グループ提供)連載路線価でひもとく街の歴史

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