ファイナンス 2021年9月号 No.670
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とを強く意識させられました。当時の僕は日本について本当に何も知らなかったのですが、そのとき、日本人として日本を良く知っていることは、価値を持つということに気が付き、日本のことを知らなければいけないと思いました。また、日本でも、例えば初めて会った人と会話の中で出身地の話をする機会がよくありますが、自分の出身地のことを詳しく語れる人をあまり見たことがありません。自分の地元のことですら知らない人が多いのです。そうであれば、国内でも、海外でも、誰よりも日本のことを知っているということは素晴らしい価値があり、また多くの人と話をするきっけかになり楽しいのではないかと思い、日本の事、日本の文化を勉強しようと思いました。阪田 それで2009年に日本各地を回ることを始められたわけですね。情熱が続かないとなかなかできない旅だったのではないですか。中田 日本や文化を学ぶ上で何が重要か考えたとき、学校で学ぶことやインターネットに出て来る情報は、日本人でも外国人でも誰にでも出来る。自分にしか出来ない事は、インターネットにすら出てこない、そこに行かなければ知り得ない情報を沢山得ることだと思いました。また、文化の定義を考えたときに、文化とはある行動がある一定期間続いて、多くの人が「これはこういうことだよね。」と認識したときに文化になるのではないかと考えました。そうであれば、それぞれの地域において長く続いている生活が、文化と呼ぶものになるのではないかと。食べるものが決まれば食文化になりますし、着るものが決まれば洋服や和服の文化ができます。では、生活はどういうものに紐づくのかというと、それは自然環境です。どういう環境に住んでいるかによって、言葉も変わってくれば、食べるものも作るものも変わってくる。寒いのか暑いのか、海辺に住んでいるのか山に住んでいるのかによって、自然から採れるものが違うので、それが食生活や生活で使う道具にも影響を与えます。自然環境を理解しながら各地域の生活を見ていくことが文化を理解するということではないかと考え、結果として地域で長く続いている産業、農業や工芸、またそこに日本酒、焼酎、そして神道と仏教も生活に結びついているので見ていこうと思いました。そして、車一台で47都道府県を回ることにしました。最初は半年もあれば終わると思っていましたが、結果7年かかりました。阪田 事前に完璧にリサーチして訪れる場所を決めるというよりは、辿っていくやり方でしょうか。中田 それもあります。サッカー選手だった僕が突然日本酒のことを調べても、ホームページすら持っていない酒蔵もあるので調べても情報があまり出てきません。最初は地方に行って、宿に泊まりながら、そこで聞き取りをして蔵や農家などを訪ねていきました。宿の人達は、地域の人達をよく知っているので。今でこそ農業にしても工芸にしても専門家の知り合いがたくさんいますが、旅の最初の頃は知り合いが一人もいないので、聞き取りながら、訪問して、の繰り返しでした。その中で人が人をつなげてくれて、専門家も紹介してもらえるようになりました。サッカーをやっていたことが有利に働いて快く受け入れてもらえることもありましたが、伝統産業に関わっておられる方の中には頑固な人も多く、なかなか受け入れてもらえないこともありました。「中田が来る?ウチはそんなの受け付けていない。」と言われたことも当初はありましたが、多くの時間をかけて学んでいく姿勢をみせていくことで、今では快く受け入れてくれます。4.伝統産業に関する情報発信阪田 中田さんは「にほんもの」というウェブサイトで47都道府県の様々な生産者、美しい場所などを紹介されています。今も旅を続けているのですか。中田 2009年に始めた旅は現在も続けています。「にほんもの」には基本的に僕がこの10年以上回り続けて集めた様々な情報を載せています。皆さんもご存じのとおり、農業や工芸、日本酒などの伝統産業についてはインターネットに情報がなかなか出てきません。伝統産業とは、何百年も続いている地元の産業で、日本酒にしても味噌や醤油にしても昔は何千蔵もあって、生活圏ごとに必ず蔵がありました。顔見知り64 ファイナンス 2021 Sep.連載セミナー

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