ファイナンス 2021年9月号 No.670
65/98

財務総合政策研究所Ministry of Finance, Policy Research Institute※今回の職員トップセミナーは、中田英寿講師と財務総合政策研究所 阪田渉所長(当時)との対談形式で行いました。1.サッカーとの出会い阪田所長(以下、阪田) 中田さんといえば、サッカー界のスーパースターですが、最近では、日本酒や伝統工芸など非常に幅広い分野の情報を発信されています。多分、何かに打ち込むということが、中田さんの大きなテーマになっているのではないかと思いますが、まずはサッカーとの出会いについて教えてください。中田講師(以下、中田) 僕が小学校低学年の頃、野球の方が人気がありましたが、『キャプテン翼』という漫画に出会いサッカーを始めました。作者の高橋陽一さんとは今でも交流があります。当時、日本にはまだプロサッカーリーグはなかったので、サッカーでプロを目指すという目標もなく、ただサッカーが上手くなることが楽しくて続けていました。ちなみに、ヨーロッパにも『キャプテン翼』を読んでプロを目指した有名な選手が多くいて、その選手たちを集めたら相当強いチームができると思います。それほど、日本だけでは無くて世界的に『キャプテン翼』の影響力は高かったと思います。イタリアでプレーしていた頃は、テレビで日本の漫画が数多く放映されているのを知って、漫画には国境を越えるすごい力があると感じました。『キャプテン翼』を読んだことがある人は分かると思いますが、実際には不可能だと思うようなプレーが出てきます。でも、僕は「できる」と思って、公園の砂場でオーバーヘッドキックをずっと練習していた結果、イタリアでオーバヘッドキックを使って点を入れることができました。何事も、「できる」と思って練習するからこそ実際にできるようになるわけです。「チャレンジすればできる」ということを、小学生の頃に漫画から教えてもらった気がします。阪田 小学生でサッカーを始めて、すぐに「自分には才能がある」と気付いたのですか。中田 いいえ。僕が通っていた小学校の少年団は、当時、県大会にも出られないレベルでした。中学校も、県大会でベスト4まで行けば御の字で、自分が全国大会に出るとか、その先にある社会人リーグに進むということは小学生、中学生の頃、一度も考えたことはありません。でも、なぜか中学生の時に関東選抜チームの山梨県選出に選ばれました。そこで初めて全国大会で戦うことになりましたが、僕は補欠で、特に結果も出せずに終わりました。その後、何故かU-15という15歳以下の日本代表に選ばれ、そこからずっと年代別の代表に入り続けました。でも、U-15、U-17、ユース、オリンピック、日本代表を含めて、入った当初からレギュラーだったことは一度もありません。最初は必ず補欠でした。小さい時から体が大きいわけでもなく、足も速くないし、技術が特にあるわけでもない。そんな中で、どうしたら他の選手よりも上手くなれるのかを考え続けた令和3年5月26日(水)開催中田 英寿 氏(株式会社JAPAN CRAFT SAKE COMPANY 代表取締役)「 日本文化の可能性を 世界へ、未来へ」演題講師令和3年度職員 トップセミナー ファイナンス 2021 Sep.61連載セミナー

元のページ  ../index.html#65

このブックを見る