ファイナンス 2021年9月号 No.670
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図表2 覚醒剤の取引価格6,000万円2~3倍ずつ増価450万円100万円海外組織からの密輸国内組織の元卸複数回の仲卸市場での末端密売(出典)松井(2020)をベースに筆者作成そして、それを供給する犯罪組織の側としては、製造・入手の困難性を背景とした独占性という、圧倒的優位性を有している。多くの麻薬は、化学的な生成プロセスを経て製造される。日本で主流である覚醒剤についても、国内で秘密裡に製造ファシリティを保有することは難しく、流通される覚醒剤のほぼ全ては密輸入によって供給されている。具体的には、大別して中国系、メキシコ系、そして西アフリカ系の海外グループが関与しており、国内の暴力団をはじめとした犯罪組織に卸しを行っている。国内犯罪組織は、そのような取引のために、表の世界のビジネスマンさながらに、海外グループの拠点に事前に渡航して「商談」を行うことも稀ではない。このように、薬物、特に覚醒剤は製造から末端の販売に至るまで極めて組織的に行われるものであり、このようなプロセスを個人のレベルで行うのは不可能である。中毒性という特質により、需要サイドにおいては、法外な対価を厭わない乱用者という常客が絶えず、かつ、供給サイドは犯罪組織がほぼ独占していることにより、麻薬ビジネスの極度の高収益性が論理必然として帰結される。覚醒剤に関して言えば、海外の麻薬犯罪組織から密輸する時の価格は、およそキロ当たり100万円と見られている。これが、国内の「サプライチェーン」を経て、使用者の手に渡る際には、グラム当たり6万円、つまり、当初の60倍となっている。乱用者の数や使用量等から推計すると、末端の密売人レベルでの年間売上は、およそ3,800万円と見積もられる*4。当然、他のどんな業種や投資でもこれ程利益率が良いものは*4) 松井由紀夫『薬物犯罪収益対策と薬物密売ビジネスに関する考察』警察学論集第73巻第8号・立花書房、2020年8月*5) 大谷實『新版 刑事政策講義』弘文堂、2009年4月、P.376-380なく、犯罪組織にとっては正に濡れ手に粟の稼業である。近年では水際での取締強化が奏功し、コンスタントに年間1トンを超える密輸押収量があるが、それでも、成功裡に国内で流通できた分でこれだけの利益を上げられれば、十分にお釣りが来るであろう。上記の通り、麻薬犯罪が組織犯罪である一方で、この資金源こそが犯罪組織の強大化を招いて来たと、いう逆向きの因果関係をも指摘すべきである。事実、我が国においても、麻薬犯罪の歴史は暴力団の伸長と軌を一にして来た。日本の麻薬犯罪の歴史は、大きく3つの時期に分かれる*5。まず第一期は、第二次世界大戦後から1950年代中央までの時期である。この時期には、戦時中に軍隊や工場での疲労回復のための軍需物資として生産された覚醒剤が、終戦とともに市中に放出され、社会の混乱の中で蔓延した。代表的な市販薬の名称を取って「ヒロポン時代」とも呼ばれるこの時期に、その対策のために、現在に連なる覚醒剤取締法も制定されている。第二期は1960年代までの時期であるが、この時期には覚醒剤の使用が一時的に減少し、覚醒剤の刺激作用とは反対の抑制作用を有する、ヘロインを中心とした麻薬が流行を見た。これは、ヘロインの原料であるあへんが社会に流出したものであるが、これも出元を辿れば旧日本軍であった。従って、この時期までにも暴力団等の関与はあったものの、その度合いはある程度限定的なものだったと考えられる。それが大きく変わるのは、1970年~90年代までの長きにわたる第三期、「第二次覚醒剤乱用期」と呼ばれる時代である。ここにおいては、第二期において減っていた覚醒剤が再び盛り返すことになる。この時期には、警察の第一次頂上作戦等で弱体化の憂き目を見た暴力団が、新たなシノギを探していた。この頃は折しも、化学的合成による覚醒剤製造技術が確立された時でもある。暴力団は、特殊な技術を要する製造から、密輸までを担う海外の犯罪組織と大規模に手を結び、覚醒剤を違法ビジネスとして確立したものと見られている。ここに至り、我が国においても、覚醒剤を中心とした麻薬犯罪と、暴力団等の犯罪組織との関連性が、揺るぎないものとなった。 ファイナンス 2021 Sep.45還流する地下資金 ―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―連載還流する 地下資金

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