ファイナンス 2021年9月号 No.670
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とのないものであることを示すものでもあった。間もなくメデジン・カルテルは壊滅するが、麻薬の密売拠点はコロンビア国内の別のカルテル、更には国境を越えてメキシコ等周辺国に移り、米国には今も麻薬の流入が続いている。なお、エスコバルが射殺された際に幼なかった彼の息子は、その後、父の築いた麻薬ビジネスとは一切関わることなく、アルゼンチンに亡命して、市井の人として人生を送っている。その彼が、自らの家族の歴史を振り返り、また、父の手下によって暗殺された当時の政治家の息子達と対面し、加害・被害の立場を超えて和解していく過程がドキュメンタリー映画として収められており(『わが父の大罪―麻薬王パブロ・エスコバル(原題:Pecados de Mi Padre)』)、当時から現代に至るこの地域の社会情勢をも、良く知ることができる。さて米国としても、このような直接的介入だけで解決できる問題には限界があることも良く理解していた。この期間を通じ、各国に対して麻薬組織関係者の引渡しを求めると同時に、国内においては、アル・カポネを刑務所送りにした金融捜査の手法を先鋭化させ、資金面から犯罪組織を追い詰めるという手法を確立させる。その手始めとなったものの内主要な法律は、1970年に制定された、RICO法(Racketeer Inuenced and Corrupt Organizations Act)と、銀行記録・外国取引法の2つである。前者は、組織犯罪に対する包括的対処を企図し、組織犯罪への加重刑・収益の没収・被害者の民事的救済等を定めると同時に、犯罪組織が合法な組織を乗っ取って違法収益を上げること(inltration)を防ごうとするものであり、ここにおいて、組織犯罪をその他の犯罪類型から切り出して規制するという枠組みが示された。後者は、米国内の金融機関が手掛ける現金取引について、(1)5年間の記録保存、及び(2)10,000ドル以上の場合に報告を義務付けるものであり、ここにおいて、金融機関が第一のゲートキーパー機能を果たすという、現在に繋がるマネロン規制の原型が作られた。しかし、これは銀行を対象にしたいわば間接的な統制であり、各種義務の不遵守や、利用者側の潜脱行為によりその限界が次第に明らかになって来た。そして*2) John Madinger, Money Laundering – A Guide for Criminal Investigators (Third Edition), CRC Press, 2012, P.23-26*3) 『令和2年版 犯罪白書』法務省 法務総合研究所、2020年11月1986年、その名もマネロン規制法(Money Laundering Control Act)が成立し、はじめてマネロン自体が正面から犯罪化されるに至るのである*2。「マネロンの犯罪化」と一言で言ってしまえば軽く響くが、その背景には、麻薬を主要な収益源とする組織犯罪の、常軌を逸した悪質性がある。そのような悪質性に対抗するためには、取り締まる当局の側も、既成の概念には収まり切らない強力な武器が必要であり、この流れの中で生み出されたのが、マネロン罪に他ならない。この「非犯罪の犯罪化」が持つ重い意味を、常に心に留め置く必要がある。繰り返しになるが、マネロン罪は常識的な構成要件ではない。それは、マネロン罪が、麻薬を軸とした組織犯罪という、限りなく非常識・不条理な敵と対峙するためのものだからである。2.日本の麻薬犯罪と暴力団以上のような、麻薬とマネロンの深い関係は何も米国に限った話ではない。なぜ組織犯罪の中核に薬物があるのかについて、ここからは、我が国の歴史及びデータに則し検討してみたい。米国の麻薬市場が、伝統的にコカインを中心に発展して来たのに対し、日本は覚醒剤がその主な商品である。まず中核にあるのは、薬物嗜し癖へきと呼ばれるその中毒性だ。実際、麻薬犯罪の再犯率は、驚異的に高い。日本において直近では、覚醒剤取締法違反で検挙された成人の内、約67%が同一罪名再犯者、即ち、過去にも覚醒剤で逮捕された者である。また、同法違反の入所受刑者の内、再入所者率は、男性に限って言えば76%に達し、逆に、再入者の前刑罪名別構成を見ると、窃盗や傷害・暴行といったメジャーな犯罪を抑え、同法違反は78%にも上っている*3。理性的判断が作用しなくなり、やめたくてもやめられない、というのが麻薬中毒である。麻薬とは正に、人ひとりの人間性の根幹を破壊し、ひいては、アヘン戦争が歴史的教訓として残す通り社会全体をも揺るがしかねない、憎むべき究極の社会悪と言えよう。44 ファイナンス 2021 Sep.連載還流する 地下資金

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