ファイナンス 2021年9月号 No.670
47/98

である。これは、具体的には中東地域を中心としたイスラム過激派や、北朝鮮等の活動と関連している。現在の世界の地下資金対策の大きな柱は、マネロンに加えテロ資金及び核開発資金等への規制であるが、これらの間の大きなクロスオーバーの存在を象徴するのも、また麻薬なのである。ここでは、これらの観点から、麻薬と地下資金対策の関係性につき、俯瞰してみたい。1.米国におけるマネロン罪成立そもそも、マネー・ロンダリングという犯罪類型が相当に異様な存在であることにつき、再度指摘しておきたい。今や、「マネロン」という言葉が、ある種の犯罪行為を示すものとして社会に広く浸透しており、それ自体は歓迎すべきことだ。しかし、入口においてその異質性を感じることなく、これを所与として受け容れてしまっては、マネロン罪が生み出されて来た背景とその意義に、辿り着くことはできない。他人の身体に危害を加える殺人や傷害、また、財産に損害を与える窃盗や詐欺等と違い、マネロンは必ずしもそれ自体として、人間の感性として「悪い」と思える行為ではない。もちろん、ロンダリングの対象となる犯罪収益が生み出された元々の犯罪、つまり前提犯罪は、まともな人間であれば当然「悪い」と思える行為である。他方でマネロンは、有り体に言えばその本体たる犯罪の収益を隠すだけの、いわば二次的な行為に過ぎない。刑法の用語で言えば、本来は罰すべき対象ではない「不可罰的事後行為」ということになる。ではなぜ国際社会は、これを敢えて犯罪構成要件化し、真正面から刑事司法の標的とするという、一見無茶とも言える選択をしたのであろうか。前回、米国において脱税捜査によってアル・カポネを追い詰めた禁酒法時代につき話したが、時は1960年代まで進む。この頃の米国は、その後20年程にも及ぶことになる、否、捉え方によっては現在まで続く、「麻薬戦争(Drug War)」と呼ばれる麻薬犯罪との闘いが始まった最中であった。米国では伝統的に、麻薬と言えばコカインが主流であった。これは、南米を原産地の一つとするコカの木から生成されるものである。このコカインを中心とした麻薬収益で巨万の富を築き、コロンビアのメデジン・カルテルを率いて現在に至るまで麻薬王の代名詞ともなっている存在が、パブロ・エスコバルである。エスコバルは、コカインを米国市場に流入させ、その儲けによって貴族さながらの豪奢な暮らしを送ると同時に、警察や敵対カルテルに対抗するため私兵部隊と重火器を擁し、その様子はまるで一国の軍隊のようであった。エスコバルは、競争相手達と血みどろの抗争を繰り広げると同時に、自らを取り締まろうとする政府関係者には「銀か鉛か(plata o plomo)」、即ち、賄賂を受け取るか銃弾を浴びるかの選択を迫り、容赦なく攻撃の対象とした。その態様は、規模・残虐性の何れにおいても、一犯罪組織の行動として我々日本人が想像し得る範囲を遥かに凌駕している。1985年11月6日、コロンビアの首都・ボゴタの最高裁判所をエスコバルと結託した反政府ゲリラが襲撃・籠城し、国軍との銃撃戦の末、最高裁長官と判事を含む100人以上の死者を出した。これは、米国への自身の身柄引渡しを阻止するための企みとされる。国家間の犯罪人引渡については、論点として重要であるため、後続の章で触れる予定である。また1989年11月27日には、彼のカルテルとの対決姿勢を示していた大統領候補暗殺のため、同人が搭乗予定と見られた民間航空機を丸ごと空中で爆破し、無関係の乗客・乗員を、やはり100人以上も殺害した(暗殺自体は未遂)。社会の深刻なコカイン汚染に悩まされた米国も、いつまでもこの傍若無人振りを傍観してはおらず、エスコバル打倒のため、「戦争」の名の通り警察的・軍事的な直接支援による現地介入を進めた。1993年12月2日、エスコバルは隠れ家を急襲した治安部隊によって射殺された。しかし、彼の死は同時に、麻薬とそれを資金源とする犯罪組織との闘いが、決して終わるこ図表1 米国でマネロン罪が成立するまで年金融捜査の手法開拓アル・カポネを脱税容疑で逮捕・訴追年組織犯罪の法定化金融機関へのゲートキーパー機能付与対応する法律の制定年マネロン罪の法定化「マネロン規制法」の制定(筆者作成) ファイナンス 2021 Sep.43還流する地下資金 ―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―連載還流する 地下資金

元のページ  ../index.html#47

このブックを見る