ファイナンス 2021年9月号 No.670
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はじめに2020年3月に新型コロナウイルスがフランスにおいても大幅流行となって以降、フランス政府の主旋律をなすコロナ対応は、イ)医療資源の確保(感染者への短期的対応)、ロ)移動制限措置の実施(感染防止への短期的対応)、ハ)経済対策の策定(経済活動の落ち込みへの短期的対応)の三つの分野において行われた。これら三つの分野は、対応策の実施の範囲・規模に違いはあれ、どの先進諸国にもある程度共通したものだったように思われる。一方、フランスはこうした主旋律のコロナ対応とは別に、新型コロナウイルスの流行開始時点で、独自の政策課題をいくつかの分野において抱えていた。そのうち、医療提供体制改革および失業保険改革の行方に着目したものが本稿である。コロナ対応から見ると緊急対応とまでは言い切れない、しかしコロナ対応に深く関係をしてくる、いわば対旋律をなす政策分野において、フランス政府がどのように対応したのかは、興味深い。コロナ危機発生以前から政権が思い描いていた改革の針路と速度を可能な限り維持したいという思いと、コロナ危機の発生を受けた状況に柔軟に対応しなければならないという要請が交錯する中での、フランス政府独自の悩みとアプローチがあったように思われる。本稿執筆現在において、感染症流行は未だ完全には終息せず、両改革へのフランス政府の対応あるいはフランス社会の反応も終局的なものとはなっていない。その意味で断定的な分析・評価を下すには時期尚早ではあるが、公衆衛生的・経済的危機の下で、いち先進国が悩みながら遂行した政策運営を行政過程・政治過*1) https://solidarites-sante.gouv.fr/systeme-de-sante-et-medico-social/masante2022/*2) https://www.lequotidiendumedecin.fr/actus-medicales/sante-publique/face-aux-agressions-repetition-les-urgences-de-saint-antoine-ap-hp-en-greve-illimitee程としていったん記録にとどめることでいずれかの方面の参考に多少なりともなればと考えている。連載の前半は医療提供体制改革編を、後半は失業保険改革編をお届けする。1コロナ危機前の医療提供体制改革の状況フランスの医療分野については、医療サービスへのアクセスの難しさ、病院・診療所・リハビリ施設等の連携の悪さ、医療従事者の負担増大、治療の質の低下、公立病院の赤字体質等を問題点として指摘する声が従来あった。2017年5月にその5年任期をスタートさせたマクロン大統領の政権は、2018年9月にアニエス・ビュザン(Agnès Buzyn)連帯保健大臣(当時)のイニシアチブの下、「私の保健2022(Ma Santé 2022)」*1という政策パッケージを取りまとめた。2018年から2022年の5か年の工程表を定め、治療の質の改善、医療提供体制の向上、医療従事者の育成、医療サービスへのデジタル技術の導入などに向けた施策を順次開始していた。しかしながら、2019年に入り、パリのサンタントワンヌ(Saint-Antoine)病院において発生した、患者による救急医療従事者に対する暴力事件を契機に、同病院の看護師やパラメディカルが無期限ストライキに突入した*2。要求事項は、医療スタッフの充実、病床閉鎖の停止、月額300ユーロ規模の報酬引上げなどであった。この救急関係者のストライキは、従来待遇などに不満を抱えている看護師・パラメディカルが多く存在していたフランス全土の救急科に燎原の火のように広がり、例えば2019年8月時点では全国520拠点の救急科のうち217拠点においてストライキが行われている在フランス日本国大使館参事官 大来 志郎コロナ危機下におけるフランスの制度改革の行方~医療提供体制改革編・上~ ファイナンス 2021 Sep.29SPOT

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