ファイナンス 2021年8月号 No.669
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や、正確にいえば車社会の文脈ではなく鉄道の時代の話なので「レール」ロードサイドだ。人口の都市流入を背景に、首都圏の外縁にできたレールロードサイド集積として発展した。さて、38位の奈良も18ランクの上昇だ。もっとも奈良のランク上昇は2000年前半から、価格の上昇はここ10年の動きである。動きが那覇と似通っており、90年代前半をピークに下落傾向が止まらない他の地方都市に対し、観光需要の高まりが地価を支えたケースと考えられる。那覇も初出の昭和48年(1973)は前橋に次ぐ33位だったが、そこから19ランク上昇している。国際通りから平成11年(1999)に山形屋、平成26年(2014)には三越が撤退するなど商業立地としては苦戦が垣間見られるものの、広域商業拠点から観光拠点にウェイトを移しつつ、路線価は堅調に推移してきた。ランキングとはいえ、60年前は東京とブロック拠点都市、ブロック拠点都市とその他の県庁所在都市との差が今よりはるかに小さかった点にも留意されたい。現在、1位の東京の最高路線価は10位の仙台の13倍だが、60年前は6倍ほどだった。最下位との差も今でこそ400倍だが、昭和35年当時は24倍だった。60年前、都市と都市の関係は今に比べて並び立つ山の度合いが強かった。街の中心だった〇〇銀座最高路線価の所在地の表記は「裏五番町丹六菓子店前青葉通」のように町丁名+建物名+道路名の形式である。平成12年(2000)から建物名がなくなった。昭和34年の最高路線価の所在地の町丁名や道路名から当時繁栄していた場所がうかがえる。和歌山のぶらくり町、新潟の古町、徳島の東新町、佐賀の呉服町、松江の末次本町、そして美川憲一のヒット曲「柳ヶ瀬ブルース」で知られた岐阜の柳ヶ瀬通だ。今はそれぞれ最高路線価地点が駅前に移っている。かつては通りを行き交う人々が互いに肩を擦り合わせながら歩いたという話が各地に残る。表2の最高路線価一覧表で示される当時の一等地にいくつかの共通点が見受けられる。はじめに浮かんだのは道路名の“〇〇銀座”だ。東京の銀座本家にあやかった道路愛称である。当の一覧表を見ると、広島の銀座側通、大分県別府の銀座街、千葉および山梨県甲府の銀座通、群馬県前橋の中央銀座通があった。先月紹介した福岡県大牟田市の一等地も大牟田銀座通だった。各地で銀座と呼ばれた商店街が当時の街の中心だった。次に目に留まったのは“電車通”である。こちらは大阪、福岡、札幌、熊本、金沢、鹿児島、福井の7都市で最高路線価の道路名になっている。戦前戦後にかけて路面電車のルートに沿うように賑わいの中心ができていった。路面電車の開通前、鹿児島のメインストリートは電車通りの一筋隣の広馬場通りだった(令和2年10月号第8回を参照)。熊本の街の中心が古町界隈から今の下通りに移ったのも路面電車の開通がきっかけだ(同11月号第9回参照)。次に、最高路線価の道路のうち最も価格が高い点を示す目印となった建物名について考える。当時の一等地にはどのような建物があったのか。まずは百貨店である。一覧表を見ると、名古屋の松坂屋、福岡の岩田屋百貨店。札幌の三越デパート、静岡の内野百貨店そして千葉の奈良屋デパートがある。内野百貨店、奈良屋デパートは現存しない。1ページに挙げた仙台の丸光デパートもそうだが、百貨店が街の中心にあるケースが多い。次は銀行である。最高路線価所在地の建物名が銀行なのは京都の富士銀行河原町支店、奈良の南都銀行本店、福島の常陽銀行福島支店だ。百貨店の前身業態に多い呉服店が最高路線価地点になっているケースは佐賀と金沢の2つある。当時の金沢の最高路線価の所在地名となった「えり虎呉服店」。再開発ビル「片町きらら」が建ち、今も同じ場所で店を開いている。服飾つながりでみると洋品店も多い。一覧表を見ると長崎、徳島、長野、岩手の4都市で最高路線価の所在地名の一部になっている。一覧表には菓子店も多かった。広島、仙台、山形、島根、青森、鳥取の6都市で最高路線価地点になっている。昔の仙台を知る筆者の母によれば、仙台の丹六菓子店は量り売りで知られた菓子店だったそうだ。山形の梅月堂菓子店は喫茶店も営業していた。建物は当地に残るモダニズム建築でもあり戦前以来の流行発信地だったとうかがえる。喫茶店が最高路線価地点のケースは2都市ある。神戸のドンク喫茶店と和歌山の不二家喫茶店だ。熊本の新世界グリルもそのうちに入るだろう。菓子店が賑わいの主役だった歴史があるの42 ファイナンス 2021 Aug.連載路線価でひもとく街の歴史

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