ファイナンス 2021年8月号 No.669
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ネロン罪は成立する。犯罪収益を手にした者が、そのカネを出所が明らかにならないよう「常識的に」扱えば、通常は関連法が定める構成要件に該当するのである。そして第二に、官民問わず実務的観点からは、現実の複雑なマネロン事例に多く触れることは有益であるものの、他方でそれにはまり込むことは本質を見失う可能性がある、という点である。実際、上記のようなプロセスを踏むことで、マネロンの手法は無限に複雑化させていくことが可能である。悪質なマネロン・スキームの事後的な解明は困難を伴うが、「複雑化させること自体は容易」なのである。よって、むしろ犯罪者がどのような発想に立ち、どのような思考アルゴリズムでマネロンを行うかを因数分解して理解し、実際の現象に当てはめられるようにしておくことの方が、重要であろう。なお、現実の事例については、我が国の金融犯罪インテリジェンスである犯罪収益移転防止対策室(JAFIC)をはじめ、複数の機関がそのような分析を行う役割を担っている*4。5.金融犯罪成立の序章では、そのマネロンに対する国際的な対策が、現在の形を取るようになるまでを通観してみよう。歴史的観点から大きく括ると、(1)マネロンという概念の確立、(2)マネロンの犯罪化、(3)その国際規範化、の3つのフェーズに分けられるが、今回は(1)の段階について記述する。マネロンと呼び得る工作自体は、原初的な形態も含めれば人類史においてその歴史はかなり長いものと考えられ、古くは中世の海賊が収奪した金銀・財宝の偽装隠匿を行った例が伝えられている。しかし、より体系だった形で行われ、それに伴い「マネー・ロンダリング」というキャッチーな名前が付与されたのは、比較的最近のことである*5。その舞台は、1900年代初頭、禁酒法時代の米国である。当時の闇社会の帝王であるアル・カポネは、酒の密売によって上げた稼ぎを大量に隠匿していた。彼は表向きの商売として洗濯店、つまりランドリーの*4) 『令和2年 犯罪収益移転危険度調査書』国家公安委員会、2020年11月*5) John Madinger, Money Laundering – A Guide for Criminal Investigators (Third Edition), CRC Press, 2012チェーンを経営しており、隠匿資産はそこからの売上げであると当初説明したとされる。Launderという言葉が使われたのは単なる偶然なのか、掛け言葉になっているのかは判然としない。何れにせよ、アル・カポネは、他のギャングとの抗争等により多くの死者を出したが、最終的に彼が1931年に逮捕・訴追され、収監されるに至った罪状は殺人罪でも傷害罪でもなく、年間1億ドルとも言われる彼のマフィアの収益に係る、脱税容疑であった。異能の財務捜査官が活躍するこの過程こそが、多くの脚色を交えながらではあるが、不朽の名画『~アンタッチャブル(原題:The Untouchables)~』が描いた世界である。アル・カボネ自身の裁判から数年遡る1927年、連邦最高裁判所はマンレー・サリバンという酒密売人に対する裁判で、課税対象となる収益は、合法・違法の別を問わない旨判示しており、この法理がアル・カポネにも適用されたのである。その意味では、金融犯罪とその捜査を突破口に組織犯罪と対峙するという、現在のマネロン規制に連なる手法の萌芽は、既にこの段階で見られる。しかし、ここで問われたのはあくまで税犯罪であり、マネロン自体が犯罪化される以前の出来事であることには、注意を要する。時代が上記(2)及び(3)の段階に至るには、更に30年程の時を要した。アル・カポネのマフィアは確かに凶悪ではあったが、その主な収益源は酒であり、それが違法ではない現代から見れば、犯罪ビジネスとしては牧歌的なものにすら見える。米国において、マネロンの犯罪化及び関連する厳しい捜査手法が取られるようになって行くには、麻薬犯罪という、酒とは比較すべくもない最強・最悪の組織犯罪の登場を待たなければならない。※本稿に記した見解は筆者個人のものであり、所属する機関(財務省及びIMF)を代表するものではありません。 ファイナンス 2021 Aug.39還流する地下資金 ―犯罪・テロ・核開発マネーとの闘い―連載還流する 地下資金

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