ファイナンス 2021年8月号 No.669
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色々と悪知恵を巡らせてみることが最も効果的だ。この手法は、実際にFATFが、各国当局者向けに開催する研修においても採用している手法であり、筆者自身がこのような研修に参加した時も、仮想の事例を与えられ、他国政府からの参加者と犯罪組織の仲間同士になったつもりで、ブレイン・ストーミングをして思い付く手法を出し合う、という経験をした。企業のコンプライアンス研修等でも、このように、まずは「敵の目線に立つ」ことは有効だろう。仮想事例として最も単純なものとして考えられるのは、例えば、あなたが麻薬の卸をしていて、100億円の収益が上がった、といったような場合である。そもそも、そのカネについて自分名義の銀行口座に直接振り込ませる、といった愚かな真似はしないであろう。そんなことをすれば、記録が残りすぐに足がついてしまう。当然、あなたはケースに入れた現金の形で受け取る。汚れた100億円を目の前に置いた自分自身を、脳内で映像化して頂きたい。これをどこかに保管しておき、一部ずつ生活費に使ったり麻薬ビジネスの「再投資」に回すことも、考えられない訳ではない。しかし、現金はかさばる。現在の日本のような非インフレ国においても、100億円ともなれば相当の分量になる。それを現金の形で置いておくのは危険であるし、万が一、警察や税務署の目に触れて出所を追及されでもしては大変だ。そこで、何とかそれを合法的な金融システムや経済取引に流し込むことを考える。この第一段階を、「プレースメント」と呼ぶ。まず思い付くのは、銀行への振込みだ。この際、100億円をそのまま近くの銀行に持って行くのは避けたい。使うのは当然偽名口座であるが、高額の取引は本人確認の対象となり、お金の性質も色々と問い質されてしまう。そこで、この100億円を細かく分割して、振込先の銀行や口座も分けることになるだろう。銀行も、なるべく普段の自分との接点がなく、かつ、コンプライアンス機能が弱いところが良い。他国の金融機関で、日本の当局に対しても顧客情報を秘匿してくれるところであれば、言うことはない。では、その国までこっそり運搬して入金できないか、という順序で、発想は進んでいく。さて、複数の偽名口座に入金を終えたあなたは、それでも時が経つにつれ、いつかはバレるのではないかと不安になってくる。そこで、更にその出元をうやむやにするために、様々な方法を取る。「レイヤリング」と呼ばれる、第二段階である。単純なやり方は、他の金融機関への送金を繰り返すことだ。一度くらいの送金では元を辿れても、複数回の送金を、合流・分岐を繰り返しつつ、かつ国境をまたいで行っていけば、その内に追跡は極めて難しくなる。他方、それでも金融機関の間で送金する限りは一応記録は残る。そこで、一旦、再度現金化したり、モノに変換した後にまた換金・入金を行うことで、電信上の記録を遮断できる。モノといっても、鉛筆や消しゴムでは多量になり運搬に難を来たすから、なるべく換金性の高い小切手、または、宝石や貴金属が良い。逆に、高額のレイヤリングを一度に行いたければ、運搬はできないが不動産(特に値下がりのリスクが相対的に低いマンション)の取引を、ワンタッチ挟むという手段もある。このようにして、あなたの100億円は、元々は麻薬収益であったことは一見して分からない、クリーンな状態となった。既に大手を振って、そのカネから好きなものを買いに行ける。これが、最後のフェーズとなる「インテグレーション」である。レイヤリングの内、偽装のための様々な資産購入の部分も、それが曲がりなりにも表の経済で行われることを以って、既にインテグレーションと考えることもできる。その辺りの細かい区別は、さして重要ではない。他方でより重要なことは、犯罪者たるあなたの100億円の内の一部または大部分は、麻薬ビジネス、またはその他の違法な事業への再投資として、再び地下で新たな犯罪収益を産み出して行くという事実である(図表1)。これが業として違法行為を行う、ということを資金循環の側面から見た説明であり、それを組織的に行うのが、暴力団等の犯罪組織に他ならない。以上の基礎的な概念を説明した上で、二点の注意喚起を行いたい。第一に、このようなやや手間を掛けた解説を受け、マネロンが一部の犯罪者の、特殊な行動態様であるように考えるべきではない、ということである。それがおよそ犯罪収益である以上、それを手にした者は何らかの意味での偽装を行うのはむしろごく自然なことである。最も初歩的な手法、例えば、知人名義の口座に名目を偽って入金するだけでも立派にマ38 ファイナンス 2021 Aug.連載還流する 地下資金

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