ファイナンス 2021年8月号 No.669
27/84

官」を新設し、対中強硬派のキャンベル元国務次官補を起用したことも衆目を集めた。*7 *8バイデン政権の具体的な対中政策を見ると、まず、知的財産権の侵害等の中国の不公正な貿易慣行を背景に、トランプ政権時に発動された対中制裁関税を継続している。また、安全保障上の懸念からファーウェイ等の中国製通信機器を排除する方針についても、トランプ政権時に禁じた政府調達や補助金を受け取る通信会社との取引のみならず、米国内市場からの徹底排除を決定した。台湾については、G7サミットや日米首脳会談において、台湾海峡の平和と安定を強調し、通商面では米台貿易協議をオバマ政権以来約5年ぶりに再開する等、米台関係の強化を図ることで中国を牽制した。さらに、人権問題について、香港の選挙制度変更やチベット・新疆ウイグル自治区に対する人権侵害に対して懸念を表明している*9。また、新型コロナウイルスの発生源について、武漢の研究施設から流出し*7) 法人税率を35%から21%へ、また、個人所得税の最高税率を39.6%から37%へ引き下げた。*8) 国際連盟の設立が含まれたベルサイユ条約の承認について、賛成49、反対35で否決された。(条約の承認には、上院の3分の2以上(67票)の賛成が必要。)*9) 例えば、国務省が発表した年次報告書において、新疆ウイグル自治区での中国による人権侵害を「大量虐殺」(genocide)と明記した。(出典:U.S. Department of State, ”2021 Report to Congress Pursuant to Section 5 of the Elie Wiesel Genocide and Atrocities Prevention Act of 2018 (P.L. 115-441),” July 12)*10) WHOは2021年3月、新型コロナの起源に関して「研究所から流出した可能性は極めて低い」と結論付ける報告書を公表したが、これに対して日米英等14か国は、調査が客観性を欠き不十分であることを懸念する共同声明を発した。*11) トランプ政権時には気候変動の科学的根拠が否定され、オバマ政権時に導入された各種環境規制が緩和・撤廃されていった。翻ってバイデン大統領は、気候変動対策を外交・安全保障政策の中心と位置付け、政権の優先課題として取り組むこととしている。具体的な政策を見ると、上述の通りパリ協定に復帰した他、2035年までに電力部門での二酸化炭素排出をゼロとし、さらに2050年までに温室効果ガス排出をネットゼロとする目標を打ち出している。*12) バイデン大統領が主催。40の国・地域の首脳らを招待し、2021年4月22日(地球の日)にオンラインで開催した。成果として、主要国から気候変動対策への強力なコミットを引き出すとともに、米国の多国間枠組への復帰を印象付けた。*13) バイデン大統領は、気候変動担当大統領特使を新設し、ケリー元国務長官を任命した。*14) 2004年以降EUが東欧諸国にまで拡大(第5次拡大)したことを背景に、EU域内から英国への移民は増加を続け、国民投票が行われた2016年には20万人近くにまで達していた。(出典:Ofce for National Statistics)*15) キャメロン首相はEU離脱反対派であり、国民投票の実施を公約とした背景には、否決によってEUに対する不満を抱える保守党内を結束させる狙いがあったとされる。たとする説に信憑性があるとして、WHO総会において再調査を呼びかける*10等、対中圧力を強めている。ただし、先端技術や人権等の分野で対中強硬姿勢を維持する一方、バイデン政権が重視する気候変動分野*11については、習近平国家主席を気候変動サミット*12に招待したり、ケリー特使*13が訪中し米中両国の協力を明記した共同声明を発表する等、中国との妥協や協力関係を模索する姿勢も見られる。2国際情勢の行方と対中姿勢(1)英国の「脱欧入亜」英国では2000年代以降に経済回復が進むと、EU域内、特に東欧諸国からの移民流入の増加*14やEUへの拠出金負担等を巡り、EUに対する国民の不満が高まっていた。こうした不満を背景に*15、2016年6月、英国のEU離脱(ブレグジット)の是非を問う国民投票が行われた。その結果、離脱派が過半数を獲得した2017年から始まった米国トランプ政権は、内政においては大型減税*7や大規模インフラ投資等を実施し国内の雇用創出を図る一方、外政においては「米国第一主義」の理念の下、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定交渉、パリ協定、イラン核合意といった国際的な枠組みから次々と離脱した。また、世界貿易機関(WTO)の上級委員の委員選任を拒否し、さらにはWHOからの脱退も宣言した。ただし、こうした米国の孤立主義的外交方針は、歴史を振り返れば殊更珍しいものではない。かつて米国は「モンロー宣言」(1823年)によって欧州諸国との相互不干渉を打ち出していた。また、ウィルソン大統領の唱えた国際連盟についても、議会に否決され*8、参加が叶わなかった。戦間期には、戦争に対する米国の関与を回避するため、漸次にわたり「中立法」を制定した。第二次世界大戦後は国際連合の創設を主導し、ソ連に対抗するために日本や欧州と協力する国際協調主義に転換するが、冷戦終結後に唯一の超大国となった後は、再び孤立主義的外交へと傾斜していった。特に、G・W・ブッシュ政権は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否し、京都議定書から離脱する等、多国間の枠組みを軽視した。その後国際協調路線を打ち出したオバマ政権ですら、シリア内戦への介入を拒否し、米軍予算を縮小させ、沖縄の海兵隊を一部撤退させる等の政策は、単独主義的との指摘もある。コラム1:米国の外交政策の変遷 ファイナンス 2021 Aug.23新米課長補佐の目から見る激動の国際情勢(第3回) SPOT

元のページ  ../index.html#27

このブックを見る