ファイナンス 2021年7月号 No.668
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各地の話題20年にわたり200万人の旅客を運んだ上海航路は途絶えました。衝突沈没した神戸丸には、長崎税関の職員が乗船して勤務しており、沈没により4名の職員が殉職しました。長崎税関敷地内には殉職者の慰霊碑が建立されており、毎年11月には慰霊式を行っています。長崎税関敷地内に建つ慰霊碑(5)クルーズ船の寄港増加(国際観光港)長崎港は、1958年(昭和33年)にカロニア号(キュナード社)がクルーズ客船として初入港して以来、多数のクルーズ船が寄港する日本有数の国際観光港となりました。クルーズ船の寄港増加に伴い、岸壁の整備も進みました。1985年(昭和60年)には5万トン級のクルーズ船が接岸できる「松が枝岸壁」の供用が開始されました。その後、クルーズ船の大型化に合わせ、2009年(平成21年)に10万トン級、2018年(平成30年)に16万トン級のクルーズ船が接岸できるよう岸壁が整備されました。近年、東アジアにおけるクルーズ需要の拡大に伴い、長崎港への寄港は急増し、2014年以降は全国上位5位に入る寄港地となっています。新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受け、2020年2月を最後に旅客が乗船したクルーズ船は寄港していませんが、現在、大型クルーズ船が2隻同時に接岸できるよう松が枝岸壁の2バース化に向けた整備が進められています。3長崎税関について(1)長崎税関の歴史(始まりは長崎会所)税関は1872年(明治5年)11月28日に運上所が名称を改め発足しましたが、長崎では税関の前身ともいうべき長崎会所が1698年に外国貿易を総括する役所として誕生しました。安政の開国(1856年)に伴い、長崎会所の一部に湊会所が設置され、その後、運上所、税関と改称されました。第2次世界大戦によって外国貿易が中断されると税関は海運局へ吸収統合されましたが、1946年(昭和21年)の税関再開とともに門司税関長崎支署として再開し、1953年(昭和28年)8月長崎税関として独立し今日に至っています。ここで少し長崎税関の前身とも言える「長崎会所」についてご紹介します。長崎会所は徳川幕府がオランダ貿易や唐貿易から生じる利益を運上金(税金)として上納させることを目的に設置した役所です。主な業務は貿易品の値決め、入札、決済などの貿易業務や長崎町民への貿易利益の分配、幕府への運上金の事務などでした。この当時、外国貿易から生じる利益は莫大だったようです。安政の開国時には長崎会所の一部に湊会所が設置され、貿易業務が引き継がれました。長崎会所、湊会所、運上所がかつてあった場所には、現在石碑が建てられ観光スポットの一つとなっています。松が枝岸壁に停泊するクルーズ船長崎会所跡、湊会所跡、運上所跡の石碑 ファイナンス 2021 Jul.83連載各地の話題

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