ファイナンス 2021年7月号 No.668
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各地の話題1はじめに長崎港はポルトガル船が入港した1571年(元亀2年)に開港し、2021年(令和3年)に開港450年を迎えました。長崎市内では今年4月から来年3月までの1年間、各所で長崎港に関連した様々なイベントが行われています。長崎税関もこれに合わせ1階の資料展示室で「長崎開港450周年記念 税関特別展」を開催中です。本稿では長崎港の歴史と長崎税関について紹介します。2長崎港の歴史について(1)長崎港の開港(ポルトガル船入港)戦国時代、日本にキリスト教の布教に来ていたイエズス会は、彼らのポルトガル船が安全に停泊できる港を探していたところ、長崎港は奥深く周りを山に囲まれ波が静かだと分かりました。そして、ここを治めていたキリシタン大名の大村純忠と協議し港の測量や町造りを進め、1571年(元亀2年)ポルトガル船が初めて入港しました。大村純忠は長崎県大村市周辺や西にしそのぎ彼杵半島を治めた戦国大名で日本初のキリシタン大名でした。ポルトガルとの貿易を行い、領民にキリスト教の洗礼を受けさせるなど積極的に西洋の文化を受け入れ、周りの戦国大名との争いを勝ち抜こうとしました。この当時、マカオから来たポルトガル船は貿易品として中国製生糸や武器を日本に持ち込み、日本からは銀を持ち帰っていました。長崎港が開港されると、各地から貿易商人やキリシタンが移住し新しい町が次々と出来ていきました。1600年頃の長崎港を描いたとされる「南蛮人来朝之図」 (長崎歴史文化博物館収蔵)(2)出島(西洋との唯一の窓口)鎖国時代、日本で唯一ヨーロッパと貿易ができる場所が出島でした。元々出島はポルトガル人がキリスト教を布教することを防ぐため、そこに居住させることを目的に築造されました。そのため最初に出島に住んだのはポルトガル人でしたが、1639年にポルトガル人の日本渡航が禁止されると出島は無人の島となりました。出島の築造は幕府の命により長崎の商人25人が出資し行いました。扇形の人工の島ですが、その形がなぜ扇形をしているのかよく分かっておらず、三代将軍徳川家光が扇を出して「これを見本にせよ」と言ったとの説や海側のカーブに高波の影響を少なくする効果があったとの説があります。出島が描かれた「阿蘭陀屋敷図」(長崎歴史文化博物館収蔵)長崎開港450年~長崎港と税関の 歴史に出逢う~前 長崎税関総務部 税関広報広聴官森﨑 克朗長崎市 ファイナンス 2021 Jul.81連載各地の話題

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