ファイナンス 2021年7月号 No.668
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各地の話題とができない車が展示されています。ダイアナ妃が来日された際、実際にお乗りになられた「ロールスロイスシルバースパーⅡ」、アニメ・ルパン三世が乗り回した「フィアット500」、珍しいものでは「ダッジ消防自動車」、実際展示されているものは旧大蔵省の自衛消防として配備されていたもので、ボンネットに「大蔵省印刷局」のロゴがあります。(5) 世界の「KOMATSU」小松製作所小松市で創業し、今年の5月に100周年を迎えた世界の建設機械メーカーです。小松工場跡地には「こまつの杜」(展示施設)があり、日本に1台しかない世界最大級大型ダンプトラックなどが展示されています。5世界の「KOMATSU」 小松製作所発祥の地「遊ゆう泉せん寺じ銅どう山ざん」跡「遊泉寺銅山ものがたりパーク」現在の小松市鵜川町にあった遊泉寺銅山は江戸時代から採掘されていましたが、明治35年(1902)に土佐出身の実業家竹内綱が銅山を買収し、その経営にあたったのが後の小松製作所の創業者となる長男の竹内明太郎(吉田茂元首相の兄)です。その銅山経営は、当時の最先端をゆくもので、採掘を人力より機械化するために、神子清水発電所を建設、精錬方法を溶鉱炉にし、電気分銅所を設置するなど、規模を拡大、純銅を生産する鉱山となりました(里山みらい館(後述)の方のお話では当時の採掘量、年6トン程度から年600トン程度まで大幅に増加したとのこと)。付近には、従業員約1,600人、家族も合わせて約5,000人が住み、病院、学校等がある鉱山町として栄えました。こうした中、竹内明太郎は、機械工業の重要性に鑑み、先進諸外国を視察した結果、遅れている機械工業の役割を認識し、大正6年(1917)に、遊泉寺銅山私設鉄工所として小松鉄工所を設立しました。この目的は「農村地域に工業を興す考えを織り込み、地方産業の発展に資すること」でした。その後の大正9年(1920)、鉱脈不足等により遊泉寺銅山は閉鎖となりますが、大正10年(1921)5月に小松鉄工所を分離独立し、株式会社小松製作所を設立しました。令和3年(2021)5月に100周年を迎えた小松製作所ですが、100周年を迎えるにあたり、小松の「ものづくり」の発展と「ひとづくり」の精神の礎を築いた遺産として、遊泉寺銅山を次世代に引き継ぐため小松製作所を中心に5年の歳月をかけたプロジェクトにより整備され、本年5月に「遊泉寺銅山ものがたりパーク」が完成しました。パーク入口には里山みらい館(解説パネルなどの展示、休憩所)が設置され、竹内明太郎氏の遺訓として、一、事業の施設はすべからく無駄なきものに。一、製品は欠点なき完全なものに。一、研究は一時も怠ってはならぬ。一、人の養成は将来を考えて努めて多く。一、なるべく人の手を下さぬものを。一、将来国産化の見込みをつけて輸出の方途を見極めよ。ボンネットの「大蔵省印刷局」の文字ダッジ消防自動車・1936年(昭和11年)製・アメリカ実際に、大蔵省の自衛消防として配備されていた個体 ファイナンス 2021 Jul.79連載各地の話題

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