ファイナンス 2021年6月号 No.667
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座に変わりなく、価格はm2当たり88万円だった。その頃の西口はまだ閑散としており、路線価は同34万円と東口の4割弱程度だった。大型店が集積した北側に対し、中央通の南側は繁華街となった。映画館も多く、北側の大宮銀座に掛けて南銀座、略してナンギンと呼ばれ親しまれた。大宮銀座の道は中央通を越えると南銀座通という。中山道の西側、南銀座通と片倉新道の丁字路周辺がナンギンだ。駅の開業以来東口が一等地だった街に変化をもたらしたのは昭和57年(1982)の東北新幹線の開通である。宇都宮や仙台の駅前と同様、真新しい新幹線駅を背中にペデストリアンデッキが縦横に広がる風景に一変した。あわせて大宮駅前西口地区の再開発事業が進められた。新幹線が開通した年に丸井やダイエーが進出。昭和62年(1987)にそごうが開店した。その翌年、地上31階建の大宮ソニックシティビルが完成し駅前の印象が大きく変わった。その後バブル景気を挟んで平成4年(1992)には最高路線価地点が東口から「桜木町2丁目旧マスクラ写真館前大宮駅西口広場」に変わった。製糸場の跡にできた新都心東口から西口に最高路線価が移転した頃、かつての郊外で新しい都市の建設が始まった。さいたま新都心である。平成3年(1991)に着工。平成11年(1999)に名称が「さいたま新都心」に決まった。まちびらきは平成12年(2000)だ。東北本線を挟んで西側は国鉄大宮操車場だった場所だ。広幅の車道で街の外縁が形作られ、内側は中央のけやきひろばと月のひろばを真ん中に、ひろばを囲むように高層ビルが立ち並ぶ。街区はペデストリアンデッキで縦横につながっている。シンボルは最大37,000席を擁するさいたまスーパーアリーナ。まちびらきの年の秋にオープンした。官公庁や民間企業のオフィスビル、シティホテルの他、さいたま赤十字病院のような拠点病院もある。財務省の関東財務局をはじめ、関東地方を管轄する政府の地方支分部局が集まっている。線路の東側はかつて片倉製糸場だったところだ。跡地にできたコクーンシティは郊外型の大型ショッピングモールである。さいたま新都心駅を擁する駅前立地だが、国道17号バイパスだけでなく首都高速の便もよい。駅前とロードサイドの両方の特性を合わせ持つ。令和2年の最高路線価は大宮駅西口ロータリーのm2当たり426万円。前年比上昇率も県内一高く15.1%だった。対して東口はその4分の3の同328万円。さいたま新都心周辺の最高路線価はさいたまスーパーアリーナ前の同156万円とそのまた半分の水準である。ちなみに県内で大宮に次いで高いのは川口市の同194万円で、浦和はそれをわずかに下回る3位だった。最高路線価は浦和駅西口駅前ロータリーの同192万円で大宮駅西口の半分をさらに下回った。以下川越市の同108万円、所沢市の同100万円である。他の都市と同じように、大宮もその時代に適した街が既存の街の外側にできる構図がみてとれる。きっかけは東北新幹線の開通だったが、広い区画のビル街が西口にできた。さらに、車社会に適応しつつ広い歩道がメインストリートの街が新都心にできた。公共施設再編と連鎖型まちづくり西口に水をあけられ、さいたま新都心の吸引力に押される東口の旧市街。平成22年に策定した「大宮駅周辺地域戦略ビジョン」を基に新しいまちづくりが進んでいる。具体策のなかで目をひくのが、「公共施設再編による連鎖型まちづくり」だ。氷川参道に沿って点在する公共施設をたまつき式に再整備し、氷川参道を都市軸に新たな魅力をつくるプロジェクトである。一昨年、氷川参道沿いの山丸製糸場があった場所に大宮区役所の新庁舎が完成。大宮市の時代から中央通りにあった区役所が移ってきた。新庁舎には大宮図書館も同居する。それまで参道の一の鳥居に近いところにあった図書館をもってきた。旧市街と新都心の中間図2 中山道から分岐する氷川参道の入口と一の鳥居(出所)筆者撮影58 ファイナンス 2021 Jun.連載路線価でひもとく街の歴史

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