ファイナンス 2021年6月号 No.667
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行が駅前に大宮支店を出店。粕壁銀行を吸収合併した。その後昭和18年(1943)に第八十五、飯能、忍商業銀行等と大合併して埼玉銀行になった。昭和35年(1960)に現在地に移転、現在の埼玉りそな銀行に至る。戦後は武蔵野銀行が昭和27年(1952)に創立。今の大宮支店の場所、大宮銀座に本店を構えた。県外勢では明治34年(1901)に東京日本橋に本店があった日出銀行が大宮に進出。大正6年(1917)には、八王子が本店の第三十六銀行が大宮支店を出した。日出銀行はその後、総武銀行、千葉合同銀行を経て千葉銀行の支店となり、昭和19年(1944)埼玉銀行に継承。第三十六銀行は昭和18年(1943)に安田銀行に統合され、戦後は富士銀行になった。その後も長らく同じ場所で営業していた。武州銀行は駅前、第三十六銀行は中山道にあった。宿場町を由来とする大宮は、中山道と、中山道に並走する東西2本の道からなる町割だ。並走するのは中山道を表に軒を並べる建物の裏手の道である。細長い町割の西側に大宮駅ができた。街道と1筋しか離れておらず、街道沿いがそのまま近代の市街地になった。中山道、それに並行する駅側の道、駅正面から伸び両者をつなぐ道からなる“H”型のエリアが中心街だ。一等地は駅東口から西口へ歴史を辿ると大宮は街全体が郊外だったといえる。岩槻や川越など城下町から外れ、都心を迂回して横浜に向かうバイパス線上にあった。舟運から鉄道に交通手段がシフトしたことで圏域の中心機能が鉄道拠点にやってきた。事実、報道を遡れる昭和34年(1959)の時点で埼玉県の最高路線価は県都浦和市ではなく大宮市にあった。当時の最高路線価地点は「大門町一丁目中地ミシン店駅側通」だった。駅に並行する大宮銀座の通りのうち、駅東口から東西に伸びる中央通との交差点に面する側である。駅に並行する通りは川越街道に連結することから川越新道と呼ばれていたが、昭和22年(1947)に大宮銀座に改名した。昭和27年(1952)には歩道にアーケードが架けられた。昭和40年代は中央通とその北側に大型店の出店が続いた。昭和41年(1966)、第三十六銀行の後継の富士銀行の隣に大宮中央デパートが開店した。駅と氷川神社を結ぶ導線上の一の宮通りに続く「一番街」には昭和43年(1968)から3年連続で大型店が進出。長崎屋、西武百貨店、十字屋が開店した。昭和45年(1970)には中央通に高島屋が開店した。大型店の出店が一巡した昭和50年(1975)、最高路線価の場所は「コヤマ食堂前銀座通」とやや北に寄ったが大宮銀図1 市街図氷川参道氷川神社大宮公園さいたま新都心片倉製糸場跡戦前からあった道路一の鳥居二の鳥居三の鳥居大宮貨物駅跡区役所旧図書館大宮高校片倉学園跡NACK5スタジアム大宮山丸製糸場跡(出所)筆者作成 ファイナンス 2021 Jun.57路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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