ファイナンス 2021年5月号 No.666
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各地の話題ある「関宿」は古い街並みを残した情緒ある街並みが特に有名です。江戸時代から明治期にかけての町屋が約1.8kmの区間に約200軒も連なる様子は圧巻で、国の重要伝統的建造物郡保存地区に選定されています。関宿また、7月の関宿祇園夏祭りは、江戸元禄時代から続く伝統行事であり、絢爛豪華な4台の山車が町内を練り歩きます。なお、限度いっぱい、精一杯といった意味を持つ「関の山」の語源は、この関の山車にあるとされています。関の山車5県内で唯一現存する城郭建造物亀山市にある「亀山城跡」は、県内で唯一現存する城郭建造物として県史跡及び県有形文化財に指定されています。天正18(1590)年に岡本宗憲によって築かれた城で、築城時には天守もあげられていたとされています。この天守は、寛永9(1632)年、丹波亀山城(京都府亀岡市)の修築を幕府より命じられた堀尾忠晴が間違えて解体してしまったという伝承があります。亀山城跡6ロシアを見てきた最初の日本人・大黒屋光太夫ゆかりの地井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」でも描かれた、江戸時代の廻船の船頭「大黒屋光太夫」は、鈴鹿市で生まれ育ちました。天明2(1782)年、神昌丸に乗り江戸に向けて廻船を出向させた光太夫ら17名は、途中で嵐に遭い、ロシアのアリューシャン列島に漂着。その後、シベリア等を横断し、ロシア女帝エカテリーナ2世へ謁見する等して、苦難の末、寛政4(1792)年、3名のみ帰国することができました。当時は鎖国中でしたが、光太夫らは、10年もの歳月を掛け、ロシアの文化に慣れ親しみロシア語を習得した上で、初めて帰ってきた日本人として、当時の幕府の役人や蘭学者に注目され、もたらした西洋に関する情報は蘭学の発展に大きく影響を与えました。こうした光太夫の軌跡は、映画や歌舞伎又は漫画等でも取り上げられ、たくさんの作品が制作されています。なお、鈴鹿市には、光太夫らを紹介する大黒屋光太夫記念館があり、当人にまつわる、いろいろな資料が展示されています。7匠が生み出す地域の伝統工芸品鈴鹿市の「伊勢型紙」は、柄や文様を着物の生地に染めるために用いるもので、千年余りの歴史を有しています。柿渋を用いて和紙を貼り合わせた紙に、細か大黒屋光太夫記念館 ファイナンス 2021 May.85連載各地の話題

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