ファイナンス 2021年5月号 No.666
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橋財政を批判してきた」が、次第に「政治の理論からは距離を取り、ケインズ政策のさきがけとして高橋を再評価する研究が日本経済史において次々と発表されていくことになる」としている。そして1980年代以降の研究について『日銀引き受けの経済的な合理性や中央銀行の主体的選択の可能性』を分析するグループと、バブル崩壊からの脱却という問題関心から「高橋財政における恐慌からの回復過程、経済のパフォーマンスが脚光を浴び、同財政を日銀信用の積極的活用による景気浮揚策とみる見方が一定の説得力を持ちはじめた」とし『政策インプリケーション』を提示するグループが登場してきたことを指摘している。そして、高橋財政が財政膨張を反転させるメカニズムを持っておらず、増税を回避し特別会計に負担を転嫁するという方法と継続費を増大させたという方法が、議会の形骸化につながったことで軍部の発言権を強め、その結果、財政健全化が困難になった点等を指摘している*17。この財政膨張を回避できなかった点についての研究蓄積も多くある。例えば鎮目(2009)では、金本位制からの離脱により財政規律を確保するメカニズムが存在しなくなり、財政規律が高橋個人の能力に依拠することとなった点を指摘している。一方で松元(2018)は、「高橋財政といわれた時代に高橋が目指していたのは財政健全化であり、健全財政の時代と呼ばれていた」としたうえで、「高橋が行った日本銀行による国債の直接引き受けが、戦後のハイパー・インフレーションの原因になったのか」について、「どのみち避けられなかった軍事費の膨張と米軍の絨毯爆撃による生産力の崩壊」がインフレーションの最大の原因であったと指摘*18している。さらに『昭和財政史』が執筆されてから50年ほどたった最近の分析としては、伊藤(2018)が「高橋財政の評価軸の変遷」と「財政政策と金融政策の相克と統一の問題」に焦点を当てた論点整理を行っている。高橋財政の評価軸の変遷については、旧来高橋財政による需要創出が軍需を柱としたものか、民需を柱*17) なお、井手(2006)は、高橋財政に財源統制を通じた中央集権化と財政民主主義の形骸化という2つの方向性があったことが現在に示唆を与えていると指摘している。*18) このほか、松元(2012)では、高橋財政について、時局匡救事業が中央集権化による補助金行政の行き過ぎとモラルハザードをもたらした点、軍事費に用いられる危機感から増税を拒否した点、いわゆるケインズ的な財政政策ではなく金輸出再禁止による為替下落・低金利政策による産業振興というポリシー・ミックスであった点、国債の日銀引き受けについては当時の国債市場の状況から日銀としても現実的な民間消化の手段と判断していたとする点など、財政の様々な論点を指摘している。としたものであったのかが争点となっていたが、次第に論点が高橋財政の政策評価を検証する方向へと移動していったとしている。そして財政政策、金融政策、為替政策のどれが最も有効であったかについてはいまだ決着がついていない点を指摘している。また高橋財政下において、経済統制が登場していた点から、高橋財政と戦時財政へのつながりにも言及している。以上のように高橋財政への評価は、非常に多様なものになっており、『昭和財政史』執筆から50年以上たった今日においてなお、一つの見解に収斂していないといえる。5.まとめ本稿では、昭和初期の世界恐慌を受けた昭和恐慌当時の財政政策に焦点を当てて整理した。まず第2節で、関東大震災対応の結果として財政支援を伴った震災手形の処理が、金融の大混乱である昭和金融恐慌を発生させ、その後、軍縮路線と金本位制への復帰が、国内テロや世界恐慌により目標を達せられず、昭和恐慌が発生した経緯を確認した。次に第3節では、昭和恐慌に対して行われた財政政策を整理し、さらに第4節でこの時期の井上財政、高橋財政に対する評価について先行研究の見方をいくつか紹介した。本稿は先行研究を整理したものにとどまるが、最後にインプリケーションを提示してみたい。まず井上財政の経験から、危機の中における対応の難しさを読み取ることができよう。井上蔵相の経済政策は当時の経済理論においては主流な政策であり、浜口内閣の政策全体においても安易に方向転換が難しい状況にあったといえる。そうした方向転換の遅れは歴史を振り返るときには明らかな問題として指摘されることになるが、一般的に危機が起きている中では、その進行中の危機に対しての正確な認識の難しさがあるうえ、危機が起きる前までの政策との整合性の問題が生じる可能性があるために、方向転換が容易でないということが起こりえよう。またこの点は、高橋財政についても同 ファイナンス 2021 May.79シリーズ 日本経済を考える 112連載日本経済を 考える

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