ファイナンス 2021年5月号 No.666
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ある」と指摘している(第1巻P.113)。(4)地方財政への影響こうした政策の変化及び軍拡は、地方経済と地方財政に大きな影響を及ぼした。昭和恐慌以降、農村経済は深刻な状況にあり、そのことが高橋財政を終焉させた二・二六事件を引き起こした要因の1つとなり、またその後の地方財政制度改革につながった。この点について『昭和財政史』(地方財政)では、「二・二六事件は、農民こと貧農の窮迫を根因とし、ロンドン条約による国防上の欠陥、北支戦局の進展およびソ満国境の紛争等を直接の契機として、(中略)政党、財閥および特権階級による腐敗政治の除去を目的として蜂起したものである。政府は驚愕し、世人は一様に農村の疲弊、革新勢力の動向に注目せしめられた」と指摘している(第14巻P.190)。こうした点を考慮し、ここでは特に高橋財政前後期の地方財政の動向及び地方財政制度改革に注目する。これまでみてきた通り、時局匡救事業により1932(昭和7)年と1933(昭和8)年に財政出動が行われたものの、1934(昭和9)年以降は歳出抑制に切り替わっていった。例えば失業救済事業についてみると、1932(昭和7)年に膨大な時局匡救事業の追加予算が可決され大規模に展開されるが、1934(昭和9)年度において軍事費が著しく膨張したために時局匡救事業関係の予算は縮小されたことに伴い失業救済事業は頓挫し、同年度をもって時局匡救のための国の予算は打ち切られた(第14巻P.129-130)。この時期の地方経済に着目すると、満州事変以降軍事費の拡大が続いた結果、軍需産業の興隆が起こり、大都市では景気が回復した。その結果、図表5のように6大府県(東京、京都、大阪、愛知、兵庫、福岡)で地方税収が増大した一方、全国的には地方税収は伸び悩み地域間で格差が生じていることがわかる。つまり、都市部で繁栄をもたらした軍需景気は農村まで浸透せず、経済力の地域間格差が拡大することになった(第14巻P.136-142)。図表5:1930(昭和5)年度を100としたときの地方税収の推移60.0130.0120.0110.0100.090.080.070.0193019321935全国(除6大府県)6大府県6大都市全国町村(注)6大府県とは、東京、京都、大阪、愛知、兵庫、福岡を示し、6大都市とは   東京、京都、大阪、横浜、神戸、名古屋を示す。(出所)『昭和財政史(戦前編)』第14巻P.141さらに時局匡救以前から生じていた国政委任事務(戦後の機関委任事務に相当する業務)の増加によっても、農村財政は窮迫した。図表6で明らかなとおり、地方部での歳出に対する国政事務費の割合が都市部に比べてかなり高い割合であったことから、国政事務費が地方部での歳出の大きな制約となっていた。図表6: 7市の1934(昭和9)年度決算における国政事務費(単位:1000円)国政事務費歳出に対する国政事務費の割合特定収入差引純負担高松市88970%402487新潟市1,18443%1221,062甲府市53777%106431千葉市30146%70231大津市51434%182332長野市93369%329604横浜市6,58126%1,3385,243(注1)特別会計を含む値である。(注2)特定収入とは、国政事務に関する国庫補助金等を示す。従って、国政事務費の一部のみが特定収入として、市に配布されていたことがわかる。(出所)『昭和財政史(戦前編)』第14巻P.162このように、画一的な行政制度及び国政委任事務の増加によって、地方団体の経費が画一的に膨張したにもかかわらず、経済発展の地域的な跛行性による税収の不均衡が著しくなった。国政委任事務については、国庫負担金や国庫補助金などによって財源の一部が国の負担によって賄われるが、府県・市町村の自己負担を伴っており、また当時は現在の地方交付税交付金のような地域間の財政調整メカニズムは成立していなかったため、地方財政の歳出拡大は地方税の増税につながった(第14巻P.149-165)。つまり、各種都道府県税、市町村税の課率に著しい格差が生じるようになり、同一の課税対象であっても地域によって負担が大きく異なるなど財政の地域的不均衡は著しいものになったのである(第14巻P.148-156)。こうした中で、地域間格差を解消するための財政調整メカニズムの必76 ファイナンス 2021 May.連載日本経済を 考える

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