ファイナンス 2021年5月号 No.666
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帝国主義(Imperialism)などに対置されるもので、その「自由主義」を保証しているのは、言論の自由や独立した司法権による令状がなければ身体を拘束されないといった基本的人権*33である。そもそも、政治体制としての民主制は暴走しやすいもので、近代にいたるまで、一般的に暴力的で混沌とした状態から、民衆の扇動、そして専制へと転じやすいものだと考えられてきた*34。だから、チャーチルは「民主制*35は最悪の政治といえる」と言ったのだ。そのように、暴走しやすい不完全な政治制度を守り育てていくのが政治家のリーダーシップであり、マスコミの役割のはずだ。草の根民主主義という観点からしても、市民とそのリーダーが公共の利益のために、喜んで協力し合うためにどうすればいいかを考えて臨機応変に工夫していくことが求められるのだ。かつて、わが国で1990年代に政治学者が主張していた小選挙区制などの政治改革が、今日ほとんど実現されているのに、それが政治不信の払しょくにつながっていないと嘆く向きがあるが、それも民主制を試行錯誤の過程と考えれば嘆くようなことではない。財政民主主義についても同じことで、今日、巨額の財政赤字という「最悪」の事態を招いているが、試行錯誤しながら直していけばいいのだ。いろいろと批判されるが、わが国の明治維新以来の財政民主主義の歴史には、西欧諸国と比べても、けして見劣りしないものがある。かつての戦争に至る一時の不幸な時期を除けば、高橋是清をはじめとした多くの人々の努力で、着実な歩みを進めてきたのだ。そもそもの日本の民主制も、江戸の自治以来のしっかりとした歴史を持っている*36。前回ご紹介したように、第1回の帝国議会議員選挙では、「われから進んで候補者として名乗りを上げる人間などは、品性劣等、士人のともに遇すべからざる者として排斥され、かえって選挙されることを迷惑がるような立派*33) 基本的人権は、西欧諸国において、血なまぐさい宗教戦争などの歴史を通じて確立されてきたものである。想像を絶するように犠牲の上に確立されてきただけに、それを守ることに対する西欧諸国の人々の姿勢には、日本では見られない厳しさがある。それは、この後に見るアリストテレスの「ニコマコス倫理学」が言うところの「善」であり、人間の魂の問題だと認識されているといえよう。*34) 「民主主義の非西洋起源について」デヴィット・グレーバー、以文社、2020.4、p55-59。19世紀の終わりに民主主義が蹂躙されていたことについて、「民主主義の壊れ方」デイビッド・ランシマン、白水社、2020、p79-82参照。*35) ここでは、前掲の翻訳の「民主主義」を「民主制」と読みかえている。*36) 「山縣有朋の挫折」p2-22、p169-170,175参照。*37) ソクラテスは、ペロポネソス戦争で重装歩兵として戦った勇壮な戦士だった。ソクラテスの人となりが分かるのが、プラトンの「饗宴」(岩波文庫、2008)である。ちなみに、ギリシャの民主制での負担は兵役で、兵役に服する市民に参政権が認められていた。*38) 本稿の範囲を超えるのでここでは述べないが、筆者が、日本からの哲学の基本ではないかと考えているのは、山折哲雄氏の「われ信ず、ゆえにわれあり」(読売新聞、2002.5.22)である。それは、戦乱のアフガニスタンで用水路掘削事業に取り組み命を落とした中村哲氏の信条であった「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」(「墨子よみがえる」半藤一利、平凡社、2011、p180)に通じるものである。その背景には、日本語に体現される日本の自然がはぐくんできた日本文化があると考えている。*39) 「絶望を希望に変える経済学」p19な人物を、無理やりに選挙民が担ぎ上げるという有様」だったのである。民主制は試行錯誤の過程だということに関して、ここで政治とは何かについての筆者の考えを述べておくこととしたい。それは、アリストテレスがニコマコス倫理学で言っていることである。アリストテレスのニコマコス倫理学は、何が人間にとって善であるかを探求した書物だ。人間にとって最高の善とは幸福だとしている。富や快楽ではなく、幸福だというのだ。そして、善を目的する活動が政治だとしている。ちなみに、アリストテレスは、若き日のアレクサンダー大王の家庭教師をしていた人物で、単なる学者ではなかった*37。筆者が官房審議官の時に受けた人事院の3泊4日の合宿研修(日本アスペン研究所による)で指導教官だった今道友信先生は、国際形而上学会の会長も務めた方だったが、哲学とは魂の世話だとされていた。人間の魂が、どうやったら幸せになれるかを探求するのが哲学だというのである。今日、IT技術などが飛躍的に進歩していく中で、新たな人間の魂の世話が求められるようになってきている。それを、エコエティカ(生圏倫理学)という考え方でとらえようとしておられた。日本の哲学は、これまで西欧や中国から入ってきたものばかりだったが、今日、日本からの哲学が求められているとしておられた*38。先に紹介した「絶望を希望に変える経済学」の中では、経済学者は手段や効用という概念をひどく狭く定義する傾向があるが、豊かな人生を送るために私たちが必要とするのは、それだけではないはずだ。家族や友人が幸せに暮らしているといったことなどが必要なのだとしている*39。何が人間にとっての善であるかを探求したニコマコス倫理学の問題意識に通じるものと言えよう。それを、試行錯誤しながら実現しようとするのが政治であり、多くの政治家がそれを目指しているのである。 ファイナンス 2021 May.35危機対応と財政(番外編-最終回)SPOT

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