ファイナンス 2021年5月号 No.666
38/96

の均衡ある発展と分厚い中間層を生み出してきた優れたシステムだった。しかしながら、それは戦後の高成長によって配分すべき果実がふんだんに生み出された時代に支えられたものだった。今日、それが失われ、30年にもわたる低成長が続くと、行き詰まりが明らかになってきている。配分すべき果実が少なくなる中、地元利益を実感できない無党派層が増えてポピュリズムの時代になり、政党の党首には政策面でのリーダーシップよりも選挙の顔の役割が重視されるようになってきている。しかしながら、実は、ポピュリズムの時代だからこそ、党首の政策面でのリーダーシップが重要になってきているはずだ。これは、草の根民主主義を唱えているH・ルービンが著書*28の中で、述べていることだ。それによると、「個人生活では、短期的な犠牲を払えば、長期的な利益を得られることを人々は理解しています。将来大学教育を受けたり新しい家を買うために、今貯金します。(中略)長期的にみた時の健康改善のために、食事を変え、禁煙するわけです。しかし、同時にそうした人々が、貧乏な人々や不利な立場にいる人々が職を得、税金を払い、社会に貢献できるように、教育や訓練を施すのに公的資金を投資するのを妨げることがあるのも現実です。(中略)問題解決に必要な政府行動や長期的利益のためには個人や集団の犠牲が必要であることなどを、市民に正当化し啓蒙しなくてはなりません。(中略)解決を見出すためには、市民とそのリ―ダーが公共の利益のために、喜んで協力し合うことこそ必要なのです」と述べている。それは、ポピュリズムの時代だからこそ、市民とともにリーダーが重要だということを述べたものだ。日本が成長を取り戻し、豊かな社会を築いていくために、「個人や集団の犠牲が必要であることを」啓蒙するリーダーが必要なのだ*29。本稿でいうリーダーには、野党のリーダーも含まれている。英国の議会制民主主義の下における「健全な*28) 「アメリカに学ぶ市民が政治を動かす方法」日本評論社、2002、p291-300*29) 「絶望を希望に変える経済学」p186。今日、SNSが一般化しエコー・チェンバー現象(ツイッターやインターネット掲示板によって、人々の偏った意見が増幅・強化されること)が生じるようになってきている中で、新しい形のリーダーが求められるようになっている。*30) 野党の政治家のリーダーシップという場合に気になるのが、我が国の小選挙区比例代表並立制の下、最近の選挙では与野党の政策に飽き足らない無党派層にエッジの利いた政策をアピールする中小政党が一定程度の議席を確保するようになってきていることである。そのような中小政党は、野党でいる選択肢と、連立与党に参画して政策に影響力を及ぼす選択肢を持つことになるが、それは野党第一党の立ち位置を難しいものにしている。かつて「民主党は党内がバラバラで支持率も低いが、選挙になると、自民党に投票したくない層の票を集める『第二党効果』で支持率が上がり、いつも勝つ『ミラクル民主党』だ(読売新聞2002.12.29)」と言われていた状況がなくなっているのである。*31) 谷垣禎一氏を総理にしたいと語っていたのが、筆者が熊本時代からお世話になった園田博之代議士であった。園田氏の人となりは、「亀井静香の政界交差点」(週刊現代、2021.4.10,17)に描かれている。社会保障と税の一体改革については、「民主主義のための社会保障」香取照幸、東洋経済新報社、2021.2、p54-65参照。*32) 今日の香港で失われつつあるのが、この「自由主義」である。「中国流の民主主義」は、「自由主義」を尊重しないのである。独裁者」たる首相の反対側には、いざという時には政権交代を担うしっかりとした野党のリーダーが予定されている。しっかりとした野党のリーダーがいない状態で与党が国民に負担を求めてそれを実現させたとしても、いつまでも政治は安定しない。ポピュリズムの時代に国民を啓蒙する責任は、与党だけでなく野党のリーダーにもあるということである*30。その観点からは、民主党の野田政権時代に、野党だった自民党の谷垣総裁*31と公明党の山口代表が与野党間で社会保障と税の一体改革についての合意(三党合意)を行ったことは画期的なことであった。5民主政治への信頼ここまでお読みいただいて、何やら前途多難という印象を受けられたかもしれないが、それは筆者の本意ではない。筆者は、日本の財政民主主義は、それでも進歩していくと考えている。本稿第5回にご紹介したチャーチルの言葉「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」が、財政民主主義にも当てはまると考えるからだ。この点に関しては、この翻訳で「民主主義」とされているものが「政治体制」(制度)としての「民主制」だということを指摘しておきたい。民主制(Democracy)は、貴族制(Aristocracy)や君主制(Monarchy)などと対置される政治体制で、「制度」なのだから、臨機応変に工夫していけばいいのだ。最悪の政治といえるが、試行錯誤しながらよりましなものに変えていけばいいのだ。「民主制」におけるリーダーシップも同じことだ。それを、「主義」と考えるから、何か本来あるべきところからずれてしまっているとして悲観的になってしまうのだ。「主義」というなら注目すべきなのは、今日の「民主制」の根底にある「自由主義」(Liberalism)*32であろう。それは社会主義(Socialism)や共産主義(Communism)、34 ファイナンス 2021 May.SPOT

元のページ  ../index.html#38

このブックを見る