ファイナンス 2021年5月号 No.666
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る*19。財務総合研究所名誉所長の吉川洋教授は、最近の著書*20において、今日の経済学が世界経済に何ら有効な処方箋を提供できていないとして、新たな経済学の再構築が必要だとされている。筆者が、今日の経済学に経済成長を実現させる処方箋が「見当たらない」ことを認識したのは、内閣府で経済政策を担当した時であった。失われた90年代以降の巨額な財政出動が、全く我が国の経済成長をもたらさなかったことは明らかだった*21。それでも多くのエコノミストは、低成長の責任を財務省の財政至上主義に転嫁し、十分な財政出動がなかったからだと言い続けているのだ。そして、そのように国民が思い込まされてきた結果が、今日までのとめどもない財政赤字の拡大なのである。とんでもないことだと思う。そんな筆者が考えているのは、結局のところ、経済成長をもたらすのは人だということである。人がより良い生活を求めてチャレンジするのを助けるような仕組みにしていくこと、そこからイノベーションが生まれ、経済成長につながっていくということである*22。そのために、人々が人生を通じて必要なら何度でもチャレンジすることを支援する全世代型の社会保障制度や教育制度にしていく必要があると考えている*23。成長をもたらすのは人だということは、高橋是清や石橋湛山*24も主張していたことだ。GDPと言っても、抽象的なGDPがあるわけではなく、一人一人が作り出す付加価値を足し上げたものが一国のGDPなのだから、当たり前のことといえよう。それは、現在の社会保障制度や教育制度*25を、「弱者」や「未熟な者」を主として支えるものから、働き盛りという「強者」をも支えるものに変えていくことによって、日本経済を再び「強者」にしていくということだ。転職が当たり前になった今日の社会では、働き盛りの者もいつまでも強者というわけではない。そこで求められる社会*19) 「絶望を希望に変える経済学」アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ、日本経済新聞出版社、2020、p270。*20) 「マクロ経済学の再構築」岩波書店、2020.8。吉川教授は、今日の経済学は、いかにも精緻化されているが、実際には存在しない代表的消費者や企業を前提とした「砂上の楼閣」の理論となっている。統計物理学的方法論に立った経済学の再構築が必要だとされている(同書、第1章、第2章)。*21) その問題意識からの著作が、「リスクオン経済の衝撃」松元崇、日本経済出版社、2014、である。*22) 吉川教授も、イノベーションが経済成長をもたらすとしている。同教授は、ケインズとシュンペータを結び付けて、「需要の飽和」と、それを打破する「需要創出型のイノベーション」が経済成長をもたらすとしている(「マクロ経済学の再構築」第5章)。ちなみに、ケインズは、経済成長をもたらすのは、アニマル・スピリットだとしていた。*23) その問題意識からの著作が、「日本経済低成長からの脱却」松元崇、NTT出版、2019である。かつては、そんな仕組みがなくても人々はチャレンジしていたが、今や状況が変わってしまったのである。*24) 「石橋湛山の財政思想」松元崇、日本財政学会2020、報告、参照。*25) 教育制度に関して、宇野重規教授は、ロールズの主張する「教育を通じての人的資本の所有の確保」が必要だとしている(「民主主義とは何か」p218)。*26) 「絶望を希望に変える経済学」p461*27) わが国の所得税は、源泉徴収されることから、直接的な負担感はあまりない。保障や教育の制度は、今日のすべての国民が尊厳をもって一生を過ごしていけるようにするための国民全体のインフラである*26。したがって、その負担は、今日の国民全体ですべきものだ。将来世代へ先送りするなど、とんでもないということになろう。4受益と負担を啓蒙するリーダーの必要性筆者は、全世代型の社会保障制度や再チャレンジを支える教育制度の財源として、国民全体でその負担を分かち合うのに最も有望なのは消費税だと考えている。その導入に強力なリーダーシップを発揮したのが竹下元総理だった。その竹下元総理の支持率は、消費税導入後、一桁台にまで下がっていった。竹下元総理は、10年たったら良かったと言ってもらえるはずだとおっしゃっておられたが、残念ながらそうはなっていない。選挙になるたびに消費税反対や消費税引き下げを主張する候補者に多くの支持が集まるのが現状だ。消費税は今や社会保障を支える大きな柱に育っているのに、消費税反対というのが相変わらず政権批判のステレオタイプになっている。その背景には、負担感なしに高い成長を実現して豊かな社会を実現してきた戦後のわが国の成功体験があるといえよう。実は、消費税は、そんな中で、我が国で初めて国民が税負担を実感する、それも買い物という日常生活の中で老若男女を問わずに日々感じる税になっている*27。これまで負担感がなかっただけに、負担なしでは受益がないことを当然のこととして受け入れる米国の「納税者の反乱」やスウェーデンの教科書に登場するケースとは異なり、とにかく負担を否定するという「納税者の反乱」が我が国の政治ではステレオタイプになってしまっているのである。ここで、我が国の政治におけるリーダーシップについて考えてみたい。戦後のわが国のシステムは、地域 ファイナンス 2021 May.33危機対応と財政(番外編-最終回)SPOT

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