ファイナンス 2021年5月号 No.666
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筆者が、米国のスタンフォード大学に入学する直前の1978年6月、カリフォルニアで市町村の固定資産税率を1%に制限するという住民投票が行われ、大差で認められた(プロポジション・サーティーン)。それは、日本でも納税者の反乱と報道され、それによる税収減はたちまちに地域の公的サービスの大幅な低下となって現れた。それは、受益と負担が裏表で、有権者が税を通して政治と結びついていることを示す米国の財政民主主義の姿だった。1梶山静六元官房長官の話菅首相が師と仰ぐ梶山静六*1は、橋本内閣の財政構造改革を官房長官として取り仕切った政治家だったが、著書*2の中で我が国の財政民主主義に関して以下のように述べていた。「民主主義社会における代議制の基本は、税*3を通じて有権者と政治家が結びついていることだろう。英国の市民革命も、米国の独立運動も、発端は国民の権利と、その代償となる税との関係からだった。…ところが(我が国の)地方自治体において、首長や地方議員と有権者との関係は、必ずしも税によって結びついていない。税を徴収するのは主として国であり、自治体の「必要経費」を算出するのも国だ。…自治体に求められるのは、国の財源からいかに多くの分配を引き出すかであり、国会議員の地元への貢献度も、これによって計られる。」梶山氏の指摘にある、我が国では首長や地方議員と*1) 梶山官房長官は「俺の目が黒いうちに財政再建の道筋だけでもつけておきたい」と語っておられた。梶山氏が頼りにしていたのが、筆者も直接ご指導いただいた与謝野馨官房副長官。与謝野氏の人となりは、「亀井静香の政界交差点」(週刊現代、2021.3.26)に描かれている。*2) 「破壊と創造」梶山静六、講談社、2000、p166*3) 「税は国の基」ということを言っておられたのが、筆者が入省して配属された主税局調査課の佐藤光夫課長だった。世界の4大文明が、灌漑による農業から始まったと言われるが、灌漑の大土木工事を行うためには、その財源を税として徴収しなければならない。税は文明の基ともいえる。*4) 公共事業の採択にあたっては、コスト・ベネフィット分析が行われる。伊唐島の農道橋についても、島でとれる生食用のジャガイモの運搬で十分なベネフィットが見込まれていた。*5) 補助事業のいわゆる裏負担は、過疎地域にはかからないようになっている。ちなみに、補助事業の地域負担は、自らの負担のはずである。それが「裏」負担と言われるのは、地域で政治家と有権者が税によって結び付いていないことを象徴している言葉と言えよう。*6) このシステムの下では、知恵さえ出せば、地域の独自施策が、ほとんど地元負担なしに実施できる。筆者が企画開発部長を勤めた熊本県の小国町の宮崎町長(当時)は、地域づくりは3人いればできますよ。国も知恵のある所には金を出したいと思っているのですからと語っていた。小国町では、地熱発電を利用した人工スキー場づくりや、小国杉を使った世界一の木造体育館の建設などが手掛けられていた。有権者が「必ずしも税によって結びついていない」ことを筆者が印象付けられたのは、農水の主計官の時だった。当時、新聞に「100人の島に100億円の農道橋」という記事が出た。農水予算への批判が強かった時代で、農水の補助金を批判する記事だった。そこで、筆者は農水省の担当者とともに現地視察に行くことにした。鹿児島県の伊唐島である。島の山影から橋が見えてくると、橋のたもとに数十人の人々が集まり、何と「歓迎松元主計官、伊唐大橋有難う」の大断幕がかけられていた。橋は過疎の島を本土とつなぐ島民にとって念願の橋だったのである*4。そして、橋が出来たからといって島民の負担が増えることはなかった*5。財源が乏しい過疎の島のインフラが整備されたからといって、住民に新たな負担を求めるような仕組みにはなっていないからである。前回、大野伴睦が「多くの人の頼みごとを政治の上でどんどん反映さそうと努力する」と述べていたことをご紹介したが、「温かい」「心の通った」形で、それを可能にしているのがこのシステムである*6。それは、戦後の経済成長の下、我が国で国土の均衡ある発展と分厚い中間層の形成を可能にしてきた優れた仕組みなのである。2受益と負担が裏表でないことの問題点このように述べてくるといいことづくめのようだが、ここにはその負担がどこに行っているかという視点が抜けている。本稿の問題意識からまず指摘される国家公務員共済組合連合会 理事長 松元 崇危機対応と財政(番外編-最終回)民主政治の原点…受益と負担30 ファイナンス 2021 May.SPOT

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