ファイナンス 2021年5月号 No.666
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ADBの民間企業向け投融資は、長期的な開発効果が見込める案件、民間金融機関では対応が難しい案件を対象とすることから、運転資金の融資は対応したことがなかった。しかし感染症の発火点である武漢で、医療機器や薬剤の物流の要である九州通が資金繰りに行き詰まり必要な医薬品を増え続ける患者に届けることができなければ、犠牲者が増えるだけでなく、感染がさらに拡大しかねない。危機感を共有したADBの担当者は2月3日に九州通から正式に緊急融資の要請を受けてから僅か3週間後の2月20日に1億3千元(約1,860万ドル)の融資についてADBの内部手続きを終え、2月25日には融資調印に至った。前代未聞ともいえるそのスピードは、ADB内部や顧客たる九州通からはもちろん、中国の財政部からも高く称賛された。スピード融資の実現には、現場と本部の密な連携、そして、ADBの民間向け融資手続きFAST(Faster Approach to Small Non-sovereign Transactions)が一役買っている。2015年3月に5年間の試験運用(パイロット)という位置づけで理事会承認を得て導入されたFASTは、融資は2千万ドル以下、出資の場合は1千万ドル以下の案件であれば、理事会承認は不要、総裁決裁で出融資ができる制度だ。時間との戦いとなる危機時には特に有効なFAST融資制度。しかし、理事会からの合意を得た利用可能な総枠が4億ドル*7であるところ、2020年2月当時、残りは約1.5億ドル、九州通への融資と同程度の案件であれば、残り8件で上限いっぱいという状況であった。(2) メコン地域流域の地域保健プログラムの展開2020年1月半ば、ADB本部は1月12日に発生したマニラ近郊のタール火山噴火への対応や、1月16日に予定されていた中尾武彦総裁から浅川雅嗣総裁への交代を控え、あわただしい雰囲気にあった。そんな中、東南アジア地域局(SERD:South East Asia Regional Department)の保健セクター担当スタッフは、「メコン川流域地域保健医療強化プロジェクト(Greater Mekong Subregion Health Security Project)」の内*7) 2015年の導入当初2億ドルとされていたFASTの総枠は、理事会の承認を経て、2018年に3億ドル、2020年の1月に4億ドルに引き上げられていた。*8) 出典:ADB Initiates Coronavirus Response, News Release | 7 February 2020容変更と、追加のグラント資金提供のために、行内関係部局や、プロジェクトの実施主体であるカンボジア、ラオス、ベトナム、ミャンマーの医療・保健関係省庁との協議に追われていた。メコン川流域で隣接する上記4か国の間は、国境を越えた人の往来が頻繁である一方、感染症に関わるデータを隣国同士で共有するメカニズムが不在だった。また、国境付近の地区レベルの病院も人材不足、経営面での能力不足、そして機材の不備といった課題を抱えている。総額125億ドルのローンとグラントをメコン川流域の上記4か国を対象に提供するこのプロジェクトは、こうした課題に対応するために、2016年10月に理事会で承認され、2019年末の段階で実行中であった。2020年に入り中国でのCOVID19流行が深刻化する中、中国南部雲南省や広西チュアン族自治区から東南アジア全域に陸路で感染が拡大する懸念が現実味を帯びていた。拡大する危機に迅速に対応するべく、当座の措置として、実施中のプロジェクト内容を変更し、対象国の国境をまたぐ検疫体制の強化や検査体制の増強を目指すのが、担当者の狙いだった。併せて、上記メコン川流域4か国に中国南部の二州を加え、第一線で働く医療従事者向けの防護服や検査体制の充実をグラントで支援するべく、追加で200万ドルの技術協力を提供した。この技術協力200万ドルはADBのコロナ対策第一弾として2月7日に対外公表された*8。パンデミック発生の3年前から同地域の複数の国を対象とする保険・医療体制強化プロジェクトを走らせていたことが、危機に際して、迅速かつ的を絞った初動実現につながった。なお、ここで紹介した二件は、現場での初動のほんの一例である。マニラの本部及びアジア・太平洋地域の途上国の現地事務所に展開している数多くのスタッフが、拡大、深化する危機の兆候を感じ、クライアントである途上国の政府や企業との対話を通じて対応策の準備を始めていた。長年の関係に基づくクライアントとの信頼関係、そして情熱と専門性を傾ける現場スタッフによるボトムアップのプロジェクトのデザインは、危機時におけるADBの有効性を決定づける最大の資産だ。24 ファイナンス 2021 May.SPOT

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