ファイナンス 2021年5月号 No.666
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1はじめに本シリーズでは、2020年初に新型コロナウィルス(COVID19)の蔓延が始まって以降、今日までの約1年5カ月の間、筆者が、アジア開発銀行(ADB)の総裁首席補佐官として、あるいは、マニラの一市民として直接関わってきた問題と、その解決のために採られてきた様々な取組みを、ミクロとマクロ、双方の視点をもって振り返りながら、パンデミック危機下の途上国支援について考えていく。第二回となる本稿では、中国武漢で発生したCOVID19の流行が世界的に拡大していった2020年第一四半期に焦点を当て、この間、マニラに本拠を置くアジア開発銀行がそのメンバーであるアジア・太平洋地域の46の開発途上国に対してどのような支援を展開してきたか、そして、当時直面した組織経営上の課題に如何に対処したかを紹介していきたい。2初動―危機対応チームの立上げ2020年1月24日金曜日早朝。私はダボスからチューリッヒへと戻るリムジンで、一週間前に着任したばかりの浅川雅嗣総裁と、その週に開催された「世界経済フォーラム」で交わされた議論や出会った人々との対話を振り返っていた。政治、行政、ビジネス、市民社会等、各分野で影響力のある約3,000人が、雪深いスイスの田舎町-ダボスーの中心に位置するCongress Centerという“三密空間”に集い、約一週間にわたって喧々諤々議論を交わした話題は、気候変動問題やその影響と言われる豪州での巨大な山火事、*1) 2020年1月24日、中国政府はツアーによる海外旅行の禁止を発表したが、これは年間1億人近い中国人海外旅行客数の55%をカバーするに過ぎなかった(出典:China Daily, 2020年1月25日版)*2) 出典:World Health Organization Novel Coronavirus(2019-nCoV)SITUATION REPORT*3) ADB現地事務所:ADBは本部以外に合計42の現地事務所を有している((1)Country Directorを擁するRM(Resident Mission):25拠点、(2)太平洋島嶼国の現地事務所(FO:Filed Ofce):11拠点、(3)複数の国・地域を担当する地域事務所:3拠点(シドニー、スバ、シンガポール)、(4)主要先進国・地域の連絡事務所:3拠点(東京、フランクフルト、ワシントンDC))。*4) SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群):2002年11月、中国広東省で非定型肺炎の多発が報道され、2003年3月までに約300名の患者と5名の死亡が報告された。3月5日にはベトナムハノイ市、続いて香港からも同症例の院内感染が集団発生、WHOは3月12日に地球規模で警戒すべき呼吸器感染症として「Global Alert」を発令。SARSの総感染者数は全世界で8,098例、死亡者数は774名(死亡率約10%)にのぼったが、初期報告から約7か月後の2003年7月にはWHOが終息を宣言した(出典:US Centers for Disease Control、厚生労働省)貿易摩擦からデジタル覇権をめぐる争いへと様相を変えた米中対立等の地政学リスク、そしてデジタル通貨に代表される技術革新など多岐に亘った。しかし、その数か月後に世界を一変せしめた疫病について正面から議論するセッションはただの一つもなかった。だからこそ、鮮明に覚えているのだろう。浅川総裁が車中で補佐官である私に指示したことを。「帰ったらすぐに、関係部局の幹部を集めて、COVID19への対応策について議論しよう」、「今年5月の韓国での総会は、今のままではできないだろうな。延期も含めてオプションの検討を始めてくれ」。私は、戸惑いつつ頷いた。その時点*1でCOVID19の感染者数は全世界で846名*2。大半が中国国内で確認されたもので、国外で見つかったケースはいずれも発生源とされる武漢での滞在歴を伴っていた。先見の明のない私は、中国に限定されたローカルな問題に見えるCOVID19の流行が、その数か月後には世界全体を飲み込む巨大な危機へと変貌し、半年先に予定されていたADB年次総会も影響を受けることなろうとは、当時、想像できていなかった。浅川総裁は、ダボスから戻った直後に関係局幹部を集め、(1)ADBの現地事務所*3、及びWHOや世銀等の関係国際機関との緊密な連携を通じた現状の把握、(2)スタッフ及びその家族との丁寧且つタイムリーな情報共有、(3)危機が拡大した場合のシミュレーションとこれに基づく業務継続プランの策定、(4)SARS*4等、過去の感染症危機時の対応や教訓の再共アジア開発銀行総裁首席補佐官 池田 洋一郎パンデミック下の途上国支援―其弐 危機に立つアジア開発銀行―22 ファイナンス 2021 May.SPOT

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