ファイナンス 2021年4月号 No.665
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今帰仁村村の南側は、乙おっぱだけ羽岳(標高約275m)を中心に山並みが東西に延びていて、その山麓から北及び東に向かって緩傾斜地となり平坦地が広がっています。村の面積は39.87km2で、那覇市(41.42km2)より若干小さい面積となっています。人口は9,345人(H31.3現在)で、ここ10年ほどは横ばい状態が続いています。主な産業は果実や生花栽培などの農業が中心ですが、子牛生産や養豚などの畜産業、ウニ漁やモズク生産などの水産業も行われています。また泡盛の酒造所も1社あります。3三山時代からの歴史今から600~700年ほど前の琉球王朝時代の沖縄は、北山・中山・南山の三山に分かれてそれぞれに王が存在し地域を治めていました。北山王は今帰仁に城を構え(今帰仁城)、本島北部(山原)一帯を支配下に治め、明国(現在の中国)との貿易も行っていました。このころの今帰仁はいわゆる城下町として、北部地区の政治、行政、また物流の拠点として栄えていたと考えます。その後三山統一の争いが勃発し、1422年北山王は中山王(尚巴志)に敗れ、北山が消滅してしまいます。そして統一王となった尚巴志は北部方面で反乱がおきるのを防ぐため、北山に監守制度を設け、監守を今帰仁城に配置します。その後1665年に監守が首里に引き揚げたのを機に、今帰仁城は政治の場から祭祀の場へと変ってゆきました。4世界遺産、今帰仁城跡2002年に世界遺産に登録された今帰仁城跡は、歴史的背景からもまさに村のシンボルとなっています。広さは8haで首里城とほぼ同じ大きさとなっていて、城跡の全体を蛇行しながら取り囲む石垣の城壁(全長1.5km)は、曲線がまるで万里の長城(中国)を彷彿するような美しさを見せています。平郎門(本門)から主郭(本丸)へと延びる約100mの石段脇には、昭和40年代に村民により百本以上の桜が植樹されており、開花する1~2月には毎年桜祭りが開催され、県内のみならず国内外からも数多くの観光客が訪れ賑わいを見せます。琉球王朝時代の国王と王妃(首里城祭より)今帰仁城跡の桜祭り(1~2月)84 ファイナンス 2021 Apr.連載各地の話題

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