ファイナンス 2021年4月号 No.665
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各地の話題これからも海とともに~八戸函館税関八戸税関支署 統括審査官柳澤 貴幸1八戸市の概要八戸税関支署が所在する八戸市は、青森県南東部の太平洋岸に位置し、県内2位の人口(約22.5万人)を擁する中核市です。東北新幹線や、本年中に全線開通予定の三陸沿岸道路(仙台~八戸、通称「復興道路」)といった陸上交通網に加え、重要港湾である八戸港は、北海道との間に1日5往復の定期フェリーが行き交い、国際定期コンテナ航路が週5便就航するなど北東北における海上交通の拠点でもあります。気候は、海からの東ヤマセ風の影響により夏は比較的涼しく、冬も降雪量が少なく晴天が続きます。市内には500か所近い遺跡が存在しており、古くから人が住みやすい土地柄であったことが窺えます。2八戸港の発展八戸港はかつて「鮫浦」と呼ばれ、江戸時代には東廻り航路の寄港地の一つでした。明治時代に入ると、地元で港湾整備の機運が高まり、大正時代には漁港として整備が進められます。その後、港湾後背地で石灰石や硫化鉄鉱の採掘が盛んになると、それらの積出地として八戸港を利用しようとの動きが活発化しました。昭和になって漁港の整備が終了すると、八戸港を商港・工業港として発展させるべく多くの港湾拡張計画が策定されました。さらに貿易港としての開港指定を求める運動も非常に熱心に行われ、昭和14(1939年)3月、八戸港は開港となりました。八戸税関支署はこの時に設置されます。管轄区域は青森県と岩手県にまたがっており、全国に68か所ある税関支署のうち複数の県を管轄する支署は9か所しかありません。東日本では八戸が唯一の支署となります。貿易港としての八戸港は、開港後すぐに戦争の影響で停滞を余儀なくされました。港湾整備も物資や資金不足のため思うように進まず、一時は貿易港としての閉港も検討されていたようです。しかし、港の発展にかける地元の意気込みは変わらず、徐々に困難を乗り越えていきます。昭和31(1956)年に馬淵川改修工事が竣工すると、新たに造成された臨海地域に発電所や金属精錬の工場が建設され、昭和39(1964)年には八戸市が新産業都市の指定を受けます。港湾施設も拡張が進められ、この頃から外国貿易船の入港隻数も増加に転じました。現在では、臨海部に金属精錬、造船、製紙といった工場が集まって工業地帯を形成するとともに、LNGやバイオマスによる電力・エネルギー供給基地として、北東北の畜産を支える飼料供給基地として八戸港は機能しています。昨年の貿易額は速報値ベースで約2,300億円でした。これは県内ではトップの実績であり、東北6県でも仙台塩釜港、小名浜港に続く第3位の実績です。3サメの由来は何?話が少し固くなったので、話題を八戸の紹介に変えましょう。当支署の最寄りにJR八戸線鮫駅があります。かつては港湾への物資を、今は通学する高校生を主に運んでいます。駅名=魚名というのは全国的にも珍しく、駅前には鮫のモニュメントが置かれています。八戸では「アブラザメ」の切り身がスーパーで売られており、港の旧名である「鮫浦」も「サメがたくさん採れたから?」と考えれば納得できますが、「沢」や「寒い」が転じたとの説もあって名前の由来ははっきりしません。八戸市 ファイナンス 2021 Apr.79連載各地の話題

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