ファイナンス 2021年4月号 No.665
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過去の「シリーズ日本経済を考える」については、財務総合政策研究所ホームページに掲載しています。https://www.mof.go.jp/pri/research/special_report/index.html昭和恐慌時の財政を振り返る(前編)シリーズ日本経済を考える1111.はじめに*1*2コロナ禍を受け機動的な財政政策が採られる中、過去の危機時における財政政策に注目が集まっている。その一つが昭和に入って間もない中で起きた昭和恐慌の時期である。本稿では現下のコロナ禍との比較の一助とするため、昭和恐慌当時の拡張的な財政政策について整理する。まず、関東大震災発災から昭和恐慌に至るまでの経緯とその時の財政の対応をまとめる。次に昭和恐慌以降、特に、歳出・地方財政の面で、大正末期から続く緊縮財政のどの時点、どのような状況から拡張的な財政政策に転じたのか、さらには財政出動によって生じた財政赤字に対していかなる対応をしようと考えていたのか、「昭和財政史」を参照*3しつつ、先行研究の見方と合わせて整理する*4。2.昭和恐慌発生前の状況と財政の対応(1) 関東大震災を受けた財政拡張路線への 変化第1次世界大戦後、経済の縮小が財政にはね返り「財政に対してもまたその緊縮を命じることになった」*1) 横浜国立大学大学院国際社会科学府博士課程後期。*2) 本レポートの内容は全て執筆者の個人的見解であり、財務省あるいは財務総合政策研究所の公式見解を示すものではない。本レポートの作成にあたって、川聡前資料情報部長、佐藤栄一郎前総務研究部総務課長、奥愛総括主任研究官、若松寛前主任調査官、鈴木和哉前研究員、関根未来研究員(財務総合政策研究所)から大変貴重なご意見を賜った。記して感謝申し上げたい。ありうべき誤りはすべて筆者に帰する。*3) 本稿では、特に断りのない場合『昭和財政史』(戦前編)を出所とし、括弧内の数字は巻とページを示すものとする。なお、本稿では当該時期が昭和の初頭という時期であることを明示するために西暦(和暦)年の表記を基本とする。*4) 『昭和財政史』(戦前編)は、1926(昭和元)年から1945(昭和20)年8月を対象期間とし、1947(昭和22)年から1964(昭和39)年にかけて編纂されたものである。編纂開始からすでに70年以上経過しているものの、未だに重要な文献であると考える。一方で、今日に至るまでに戦前期の研究も進められてきており、そうした成果も可能な限り本稿で紹介していきたい。*5) 債務者が震災地(東京府・神奈川県・静岡県・埼玉県・千葉県)に住所または営業所を有する場合は、銀行であると否とにかかわらず、すべてその金銭債務の支払いを30日間延期し、また手形等有価証券の権利保存行為をなすべき期限についても同一期限延長することを認めた(除外例あり)。さらに、この支払猶予令の適用を受ける震災手形に融通性を与えるため、日銀による再割引をする必要性が協議された(『日本銀行百年史』第3巻)。*6) 当時(大正12年度)の財政規模は一般会計歳出総計で約15.2億円である(『明治大正財政史』第4巻)。(第1巻P.41)ところであったが、1918(大正7)年8月下旬から流行が始まったスペインインフルエンザ(スペイン風邪)の感染拡大が落ち着いた後の1923(大正12)年に発災した関東大震災からの復興が積極政策への転換をもたらした。関東一帯を襲ったこの大地震で、繊維・制作・製紙工業の工場が大きな損害を受け、その対策が財政問題となったが、後に緊縮政策で知られる井上準之助蔵相は当時、むしろ積極財政で事にあたった。日銀とも協議のうえ、手形のモラトリアム(支払猶予令)を実施し*5、日銀に約4.3億円の震災手形の融通(企業が振り出した手形の日銀による再割引)を行わせ、それに必要な限りで日銀資金貸し出しの限度及び条件を緩和し、1億円の政府保証を付すなどの金融円滑化策を実行するとともに、数年間で約13億円の復興事業を実施した(第1巻P.51-52)ことで、財政*6には大きな負担となった。また、歳入としては、ロンドン及びニューヨークで高金利の外債(約5.5億円)を起債することになった(第1巻P.43)。(2)昭和金融恐慌の発生国内経済や財政に積み重なったこうした負荷が銀行取り付け等の形で表面化した昭和金融恐慌は、当時と財務総合政策研究所資料情報部 研究員市川 樹*1財務総合政策研究所資料情報部 総括主任調査官兼財政史室長鶴岡 将司*264 ファイナンス 2021 Apr.連載日本経済を 考える

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