ファイナンス 2021年4月号 No.665
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べて奪った。被災者は648人、172世帯に上り、ボナがこれまで支援してきた友人の女性も4人の子どもたちを残して亡くなった。今年10歳になる末の女の子は心身に重度の障害がある。そして、彼女たちは、数年前に病気で亡くした父に続き、火災により母も亡くし、孤児となってしまった。ボナは、22年前からマニラ湾に面したBASECOで暮らしている。乏しい医療体制、舗装されていない道路、整備が行き届かない上下水道、夜になると頻発する喧嘩や犯罪、その背景にある厳しい貧困など、問題は山積している。それでも、「我が町BASECOの明日をより良いものにしよう」という思いから、彼女は長年、地域の人々とともに献身的にコミュニティ活動に取り組んできた。しかし、今回の事件はあまりにも厳しい。ボナは瓦礫の山に変わり果てた火災の現場に立ち尽くしながら「心が折れそう…」と、つぶやいた。彼女の横には、途方に暮れている4人の火災孤児たちがいた。6回復力を発揮する地域の人々そんなボナの悲しみは、彼女のFacebookへの投稿を通じて多くの人々に届いた。彼女がボランティア・リーダーを務めるCARITAS MANILAの活動を2018年8月に見学させて頂いたことを御縁に知り合った筆者もその一人だ。ボナの声に導かれて火災の二日後に筆者が訪れた現場は、想像以上に広範囲が焦土と化していた。台風等の災害から住民を守るために建てられた鉄筋4階建てのBASECOの避難所には、プライバシーも、社会的距離もない状態で、数百人の人々が身を寄せ合っていた。皆、身の回りのものだけをもって逃れてきたようで、身体を洗ったり、水をくむためのヤカンやバケツすら持っていなかった。マットレスや毛布も、もちろんない。被災した人々への見舞いとして、風雨をしのぐテント数枚、缶詰食品、母親を亡くした孤児のためのオモチャ、そしていくばくかの現金をボナに手渡してその日は引き揚げたが、そこからが、困難に立ち向かうボナをはじめとするBASECOの人々と私の並走の始まりだった。BASECOの現状を一人でも多くの人々に知ってもらい、可能な限りの支援を集めようと筆者がSNSで呼び掛けると、ADBの大勢の同僚たちや、日本の友人たち、そして財務省をはじめとする霞が関の同僚たちがそれに応えてくれ、わずか10日で約440万円もの義援金と、車5~6台分の支援物資が私のもとに寄せられた。一方、ボナは、CARITAS MANILAのボランティア・スタッフを二十人近く動員し、義援金で当座必要な日用品を大量に購入。私とボナ、及びその仲間たちとの緊密なパートナーシップを通じて、火災の発生から約12020年8月、火災現場から身の回りの者だけをもってBASECO内の避難所に身を寄せる人々。避難所からすべての人々が退去したのは火災発生から2か月後のことだった。緊急支援として調達した日用品を受け取るBASECOの火災被災者の女性 ファイナンス 2021 Apr.41パンデミック下の途上国支援SPOT

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