ファイナンス 2021年4月号 No.665
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止されたからだ。銀行口座も貯蓄もなく、育ちざかりの4人の子どもたちと夫婦の食費、月1500ペソ(約3000円)の家賃、500~600ペソ(約1000円)の光熱費を支払えるあてもない。大家は、家賃の延滞を認めてくれた。政府からはバランガイ(フィリピンの基礎自治体)事務所を通じて2週間分の缶詰やコメが配給された。一家庭あたり7000ペソ(約1万4000円)の補助金が支払われるという話もあった。しかし、役所に赴くと、申請書類が足りないため後日来るよう言われ、日を改めると、支給期間は終わったと告げられた…。~建築作業員、ドナルド~2020年7月中旬。激しい夕立がトタン屋根を叩きつける音が響く中、36歳のドナルドは部屋を照らす小さな豆電球の下で頭を抱えていた。隣には、腎不全で弱った妻ルセルが横たわっている。これまで建築の現場作業員として月2万ペソ(約4万円)を稼いできたが、パンデミックの影響で現場は次々と閉鎖され、収入も途絶えた。仕事を見つけようと走り回ったが、目にしたのは、自分と同じように職を求める人々だけだった。妻の容態を保つには、週3回の透析が欠かせない。一回の費用は950ペソ(約2000円)。月に1万ペソ(約2万円)以上かかる。政府の保険プログラムがカバーしてくれる上限額を、先月突破してしまった。コロナ対応のための経済対策で財政赤字が激増した政府には、透析費用の補助を拡大する余裕はなさそうだ。2年前に3歳で亡くなった長男の笑顔が頭をよぎる。「俺は、日々弱っていく妻をただ見ていることしかできないのか…」。ドナルドは壁に掛けられたイエスの肖像を眺めながら、自分の無力を呪った。8歳の長女ステファニーは、そんな父の背中を柱の陰から見つめていた。3ロックダウンと終わりの見えない感染拡大フィリピンで初めて新型コロナウイルスの感染者が出たのは、2020年1月30日だった。中国武漢からの旅行者で、一人は回復したが、もう一人は死去。中国国外でコロナによる死亡が確認された初のケースとなった。ドゥテルテ大統領は翌31日、中国湖北省からの旅行者の入国を禁止。2日後には対象を中国、香港、マカオからの全ての外国人へと拡大したが、一カ月後の3月5日に国内での市中感染が確認された。筆者を含め約2000名が勤務するアジア開発銀行(ADB)の本部も、来訪者に感染者が出たことが判明したため、3月12日金曜日に急遽閉鎖された。その週末にはフィリピン全土で76人の新規感染者と6人の死者が確認され、政府はロックダウンECQ(Enhanced Community Quarantine)に踏み切った。以来、マニラでの生活と風景は一変した。交通機関が全面的に運休となったことはすでに述べた。これによりほぼ全てのマニラ市民は出勤ができなくなった。一方、銀行、スーパー、薬局、及び生活インフラを提供する企業以外は全て営業停止となり、普段は賑わう巨大モールはシャッター通りへと姿を変えた。スーパーも、営業時間に加えて、一度に入店できる人数が制限され、入り口には、マスクとシールドで顔を覆い、社会的距離を保ちながら入店を待つ客の列ができた。教育機関もすべて閉鎖。夕方6時から朝5時までの11時間外出禁止令が出され、市内のあちこちに設けられた検問では、迷彩服に身を包みマスクとサングラスで顔を覆った軍隊が多数展開し、行きかう車やバイクの運転手に、外出許可証の提示を厳しく求める風景が常態化した。マニラを擁するルソン島と、それ以外の島々とを結ぶ飛行機や船も欠航となり、国際線はごく限られた出国と、海外で働くフィリピン人とその家族の帰国に限定された。ADB本部近くにある巨大なモール(SM Mega Mall)の入り口。マスクとフェイスシールドの着用、検温、そして携帯電話にダウンロードしたTracking(居場所確認)のためのアプリケーションの提示がなければ入館は認められない(2021年2月)。38 ファイナンス 2021 Apr.SPOT

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