ファイナンス 2021年3月号 No.664
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その後、平成18年(2006)にNHK放送会館がおもろまちに移転。平成19年(2007)には沖縄県立博物館・美術館が開館した。おもろまちで最も路線価が高いのはこの前面の道路である。同じ年には日本銀行那覇支店も移転した。平成20年(2008)には内閣府沖縄総合事務局が移ってきた。白地に新しい街をつくってきた歴史前の最高路線価地点だった三越前だが、当の三越が平成26年(2014)に撤退した。商業環境の厳しさがうかがえるが路線価は下がっていない。国際通り全体で上昇傾向をたどっている。商業地には変わりないが観光客向けの街になった印象だ。筆者の主観だが京都の新京極、鎌倉の小町通りのようだ。前年の最高路線価は前年を40.1%上回り全国の県庁所在地で最も大きい上昇率となった。ここ3年で2倍を超える急増ぶりだ。内外の観光客が増え、ホテルの新設も相次いでいたこともある。買い回りから観光に主力が移っても立地の稼ぐ力が旺盛なことには変わりない。ちなみにおもろまち地区の最高路線価は最高路線価の約6割の水準で推移している。戦前の東町、終戦直後の神里原、そして国際通りの三越前から県庁前へ。那覇の中心は反時計回りで移動している。次世代の街がおもろまちだ。他の地方都市では旧街道沿いから駅前に向かって中心地が動いたが、そもそも沖縄県には鉄道がない。戦前に走っていた軽便鉄道の那覇駅はバスターミナルになった。以来、那覇で公共交通機関といえばバスである。平成15年(2003)、沖縄都市モノレール「ゆいれーる」ができた。とはいえモノレール駅が他の地方都市の駅前と同じかといえば少々異なる。那覇の場合、東町周辺が立ち入り禁止になったり、おもろまちに広大な敷地ができたりと、いわば特殊事情で街の中心が動いてきた。旧来の街の外側の白地に一から新しい街をつくってきた。その分、他の都市に比べ街の変化が明確だ。おもろまちは、車社会を反映した街であるとともに徒歩中心の街でもあるのが特長だ。モノレールの駅を降りると歩道の大通りがまっすぐ伸び、突き当たると左右に公園が広がる。つまりT字型になっている。高齢化社会を考えると移動手段の主力が車から徒歩、軌道系の交通に移るだろう。求められるのは高層の集合住宅、大型モール、業務機能がワンストップで揃った高密度の街だ。既存の街を次世代型の街につくりかえるにあたって、白地からできたおもろまちはそのプロトタイプとなりえる。那覇に限らない話だが、古い街の仕様は新しいものに上書きされず、新しい街の仕様は古いものの外側に保存される。古い街が古いまま残るため、同じ街を歩いていても新旧の境目で街の地層を見ているような気分になる。5年前に那覇を訪れたとき、農連市場とその周辺から戦後の市場の雰囲気を感じたのを記憶している。シャッターを閉めた店もあったが、そうでない店もあった。もう少し後の時代を感じたのが牧志公設市場だ。今の時代、公設市場自体がたいへん珍しい。世代交代するほどの時間が経てばまた別だが、それでも土地の記憶は何らかの形で残っている。農連市場の周辺は数年前から再開発が始まり今はすっかり見違えた。平成29年、農連市場はショッピングセンター「のうれんプラザ」に再生した。牧志公設市場は建て替えのため仮店舗に移転。新しい市場が来年開業予定だ。内外装と品揃えの無秩序さ、騒がしさや熱量がスーパーマーケットとは違った市場の魅力だ。建物は新しくなっても、中世のチャイナタウンの久米村と同様、市場の記憶は次世代に引き継がれることだろう。プロフィール大和総研主任研究員 鈴木 文彦仙台市出身、1993年七十七銀行入行。東北財務局上席専門調査員(2004-06年)出向等を経て2008年から大和総研。専門は地域経済・金融図4 最高路線価は3年で倍増0501001501973201011121314151617181920久茂地3丁目国際通り三越跡前おもろまち4丁目那覇中環状線平和通り(万円/㎡)(年)(出所)財務省「路線価図」から大和総研作成 ファイナンス 2021 Mar.77路線価でひもとく街の歴史連載路線価でひもとく街の歴史

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