ファイナンス 2021年3月号 No.664
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る紅葉には逆らえず泣く泣く別れた二人だったが、紅葉の没後結婚した。「婦系図」を未読の方々には恐縮だが、話の展開の便宜上あらすじを述べると、ドイツ文学者酒井の弟子早瀬主税は、師には内緒で元芸者お蔦と所帯を持っている。折から酒井の娘妙子に、閨閥で権力と富を築かんとする河野一族から縁談があり、失礼な仲介者が妙子の身元を聞きまわる。早瀬は邪な縁談から妙子を守ろうとするうちに、お蔦との関係を酒井に知られてしまう。酒井は、芸者とは別れろと早瀬に迫る。早瀬は少年掏摸だった自分を育ててくれた師の大恩を思い、泣いて別れる。椿事から職を失い、河野一族の本拠地である静岡に流れた早瀬は、河野の縁談から妙子を守るため、河野の娘たちを篭絡して河野を追い込もうと尽力するが、その間に、お蔦は早瀬と会えぬまま病に倒れ、二人の恋を赦した酒井の腕の中で死ぬ。最後に早野は、久能山で河野の家長英臣と対決する。妙子は酒井が芸者に産ませた子であることを知って英臣が縁談を取り消すと言うのを、早瀬は卑怯と糾弾し、逆に河野家の不祥事を暴く。早野を拳銃で撃とうとした英臣は、それが果たせず自殺する。妙子を守護した早野も、その夜自殺するのだ。小説としてみればストーリー展開に無理があるというか荒唐無稽の感があるが、場面場面の人物描写とセリフには歌舞伎の名演を観る感があり、惚れ惚れとする。そして鏡花一流の絢爛たる文章には陶酔するばかりだ。例えば、「函はこ嶺ねを絞る点したたり滴に、自おのず然から浴ゆあみした貴婦人の膚は、滑かに玉を刻んだように見えた。真白なリボンに、黒髪の艶つやは、金きん蒔まき絵えの櫛の光を沈めて、愈いよいよ漆のごとく、藤紫のぼかしに牡丹の花、蕊しべに金入の半襟、栗梅の紋お召の袷、薄色の褄つまを襲かさねて、幽かすかに紅の入った黒地友染の下した襲がさね、折からの雨に涼しく見える、柳の腰を、十三の糸で結んだかと黒くろじゅす繻子の丸帯に金泥でするすると引いた琴の絃いと、添えた模様の琴こと柱じの一ひとつ枚が、ふっくりと乳房を包んだ胸を圧おさえて、・・・」という具合だ。「李陵」や「山月記」を著した早逝の作家中島敦は、横浜高等女学校の教員時代、学内誌に「鏡花氏の文章」(中島敦全集2、筑摩書房、仮名遣いは筆者が変更)という一文を寄せ、「日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ」、「鏡花氏こそは、まことに言葉の魔術師。感情装飾の幻術者」と評している。そして「氏の芸術は一箇の麻酔剤であり、阿片であるともいえよう。・・・一体、阿片の快楽に慣れるためには、はじめ一方ならぬ不快と苦痛とを忍ばねばならぬという。しかも、一度それに慣れて了うと、今度は瞬時も離れられないほど、その愉楽にしばられて了うのであるという。丁度これと同様なことが鏡花氏の芸術についてもいえると私は考える。鏡花世界なる秘境に到達するためには先ず、その『表現の晦渋』という難関を突破しなければならない」と、うら若い教え子たちに少々妖しく蠱惑的な表現で鏡花の作品を勧めている。女学生ならぬ私も、午後一杯泉鏡花ワールドに浸った。ふと空腹を覚えて時計を見ればもう夕方である。さあ、夕食の準備だ。ビールと日本酒を冷蔵庫に入れてから、牡蠣の殻を外す作業に取り掛かる。私以外の家の者は生牡蠣を食べないので、自分のために生牡蠣をいくつか分けて、残りはチーズ焼きにしよう。鮪のサクを刺身に切り、しゃぶしゃぶ用の野菜を切れば準備完了。さあ贅沢な夕食だ。まずは本鮪ともずく。ビールがうまい。続いて生牡蠣。半数はレモンと醤油と柚子胡椒で、残りは白梅に因んで梅肉おろしで食す。頂き物の吟醸古酒を飲めば実にこたえられない。中島敦言うところの「阿片の快楽」かもしれない。しかしてその「秘境に到達するためには先ず、」牡蠣の殻外しという「難関を突破しなければならない」わけだ。次いで牡蠣のチーズ焼き。これはスコッチウィスキーの水割りだ。これもまた美味い。そして豚しゃぶ。締めは饂飩だ。腹充たされほろ酔いで大いに満足。ここで家の者から一言。「あんたは、本鮪がとろけるの生牡蠣がどうのと食通を気取っているけど、結局は安い豚肉と饂飩で腹一杯になれば幸せなんでしょ」。ううっ。かくて休日の夕食は終わった。牡蠣の殻で擦りむいた指先が痛い。60 ファイナンス 2021 Mar.連載私の週末 料理日記

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