ファイナンス 2021年3月号 No.664
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私の週末料理日記その442月△日土曜日新々先日昼に職場の近くを散歩していたら、と或るビルの前庭に紅梅が咲いていた。赤い梅の花を見ると、「梅に鶯うぐいす、藤不ほととぎす如帰」とつい口に出るのは、若いころ花札に凝った後遺症だろうか。鶯の実物はついぞ見たことはないが、和菓子の鶯餅の色と同じだとすると紅梅色とは似あいそうだ。加齢のせいか最近覚えたことはすぐ忘れるが、昔覚えたことは意外に忘れていない。「木の花は、濃きも薄きも紅梅」と紅梅を誉めたのは清少納言だったな今朝は、これまた加齢のせいか早くに目が覚めたので、自宅からちょっと離れた神社まで散歩に出かけた。曲がりくねった小道を歩いていくと、道沿いのお宅の庭に白梅の花が咲いていた。白梅と言えば思いつくのは、芝居の「湯島の白しら梅うめ」である。「切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。私にゃ死ねと云って下さい。蔦には枯れろ、とおっしゃいましな」といったっけなあ、お蔦のセリフは。湯島境内の別れの場面には白梅がふさわしい。百人一首の「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」の「花」は梅だと、受験参考書か何かで大昔に読んだ記憶がある。古今集の詞書に梅の花を折りて詠めるとあるから花は梅に決まっているのだが、紀貫之の時代は花と言えば梅だったのだという解説があったような気がする。しかし、昨今の物の本によれば、貫之の時代は既に「花と言えば桜」になりつつあったようだ。それはともかく、紅梅白梅を、昔の人は「色は紅梅、香りは白梅」と評したが、実際に紅白の梅の香気量を測定すると白梅の方がかなり多いらしい。貫之の「花」は白梅だったのだろう。令和の元号の出典も万葉集梅花の宴の歌の序文だったことを思い出す。自粛が続く中、宴会を連想しておおいに人恋しくなった。飲み会依存症かな。せめて晩飯は豪華なものを食べようと、散歩から帰ってデパートの地下の食品売場に出かける。久しぶりのデパ地下である。まず本マグロのサクと大きな殻付き牡蠣を奮発し、ついでにもずくも買う。そして豚しゃぶ用の薄切り肉が安売りだったのでこれを買い、野菜と豆腐を買ったら、本来デリカテッセンや和菓子屋も回りたいところだが、時節柄涙を呑んで早々に帰宅する。昼は、夕食用の豚肉を少し使って、肉とキャベツをにんにくと唐辛子で炒め合わせたスパゲティ。子供が小さい頃は、週末の昼によくスパゲティを作ったものだが、いつしか家の者たちがスパゲティは太ると言うようになり、こちらもこれまた加齢のせいかパスタよりも蕎麦の方が好きになって、まったく久しぶりのスパゲティランチである。久々なので分量がわからず、超大盛になってしまったが、我ながら見事に完食。美味。デザートは先日近所の八百屋で買った清美オレンジで、これまた美味い。余談ながら、「清美」の名称は静岡にあった清見潟に由来する。清見潟は古くから景勝地として知られ、西園寺公望の別邸坐漁荘はこの海岸にあったが、戦後海岸の埋立てが進められ、臨海工業地に変わった。高校で習った漢詩ふうに言えば「更に聞く 清見潟の変じて工場の埠頭と成るを」ということか。午後は、図書館で借りだした「大衆文学大系」(講談社)で泉鏡花の「婦おんな系けい図ず」を読む。前述の「湯島の白梅」の原作である。「婦系図」には、お蔦と早瀬主税の湯島境内の別れの場面はない。芝居にするときに脚色されたのだろう。芝居のこの場面を鏡花も気に入ったようで、後に自身で「湯島の境内」という戯曲にしている。因みに、鏡花の妻すずは元芸者で、鏡花の師匠である尾崎紅葉は2人の関係を許さず、「女を捨てるか、師匠を捨てるか」と迫ったという。大恩あ ファイナンス 2021 Mar.59連載私の週末 料理日記

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