ファイナンス 2021年3月号 No.664
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大会、公立学校のフリーミール制度*2を通じて分かる生徒の経済格差、ソーシャルワーカーの仕事までさせられているイギリスの公立学校。そうした様々な事例・体験を通じて、11歳の少年と作者、そして我々の目に、カオスであり活き活きとしていて、そして物悲しくグルーミーなイギリスが見えてくる。特に、英国の保育業界でバイブルとなっているという『タンタンタンゴはパパふたり』*3という絵本にまつわるエピソードが面白かった。民間の保育園に勤めていた作者は、LGBTを想定させるこの絵本を何度となく保育園児たちに読み聞かせたという。無邪気にカラフルな反応を返す園児たち。中には、パパが2人いる子や女装のパブシンガーの父親を持つ子どももいる。そんな子供たちの反応を見た作者が、こう感想を述べている。「 子どもたちには「こうでなくちゃいけない」の鋳型がなかった。男と女、夫婦、親子、家庭。…小さな子どもにはそんなものはない。あるものを、あるがままに受容する。しかし、成長するに従って、子どもたちも社会にはいろいろな鋳型があることに気づく。あれほど自由だった、というか世の中のあれこれに無頓着だった朗らかな存在ではいられなくなる。」とても本質を突いた感想だと思うし、これこそが本書を読み終え、純粋な「息子」の反応を通じてイギリス社会を見てきた我々読者の感想を代弁してくれているような気がした。人は大人になるにつれ、みんな次第に自分の所属する組織、ジェンダー、社会階層、地域、民族、宗教、国家、様々なもので自分のアイデンティティーを構築するようになる。それはたった一匹のか弱い生き物が、あたかも固い殻を手に入れるように。守られるけど、失っていく。冒頭のグラウコトエからやどかりへの成長を、子供たちの成長に似ていると言った小説家のインタビューを思い出した。そう、保育園児も作者の「息子」もうちの娘も、多様性の中に身を投じ、ま*2) イギリスでは、低所得の家庭の子どもたちが無料で給食を食べられるフリー・ミール制度があり、3月23日のロックダウンによる学校閉鎖後も貧困家庭救済のために継続されていた。しかし、学年の終わる7月で終了すると貧困層の子供たちが困ってしまうと、自らもフリー・ミール制度で支えられた経験を持つマンチェスター・ユナイテッドのマーカス・ラッシュフォード選手が下院議員宛の公開書簡を発表し、政府に方針の変更を訴えた。2020年6月17日、ボリス・ジョンソン首相と電話で会談し、方針の変更を取り付けた。これにより、イングランドで130万人の子どもたちが、夏休み中も無料で給食を受け取ることができるようになった。*3) NYのセントラルパークで恋に落ちたペンギンのオスのロイとシロが、飼育員からもらった卵を一緒に温め、メスのタンゴを孵し仲良く暮らすという実話を元にした話。だ鋳型のないままで社会を受け止め、理解しようとしている。やがて僕等のように自分の殻を見つけ、身体は真っ直ぐではなくなっていくのだろうか。それとも、そのまま、その多様性の海の中を、勇気をもって自由に泳ぐ生き物のままでいてくれるのだろか。今の彼ら彼女らを見ていて思うことは、まるでザ・ブルーハーツの最初のアルバムの1曲目、爆発しそうなあの曲を思い出させる作者のこの言葉に集約されているのかもしれない。「 “未来は彼らの手の中”にある。世界はひどい方向に向かっているとか言うのは、たぶん彼らを見くびりすぎている。」その通りだと思う。そして、財務官僚として敢えて言いたいのは、その手の中にある未来に、彼ら彼女らが自由にカラフルな世界を構築していけるように、負担を残してはいけないということだ。過去、そして今の世代が作った負荷を、次の世代に負わせては、いけないのだと。 ファイナンス 2021 Mar.57ファイナンスライブラリーライブラリー

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