ファイナンス 2021年3月号 No.664
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が即日に現金化できるのと同じように、日本の中期国債ファンドも即日に現金化できるようにしたい(中国ファンドの即日解約)というのが大きな懸案だった。それに対して、銀行局は、それは銀行の決済機能を侵すことになるので、銀行・証券分離が行われている我が国では認められないということだった。銀行・証券分離は、米国に倣って導入された制度で、その米国で認められていることがなぜ認められないのかということでずいぶんと議論した。なぜ、こんなことを書くかというと、この中国ファンドの即日解約をめぐって証券業界に便宜を図ろうとしたということで、筆者の後輩が逮捕・起訴されたからである。中国ファンドの即日解約は、金融自由化の流れの中で、証券局としては当然の政策課題だった。それを促進しようとしたことが証券業界の便宜を図っているとされたことには、ショックを受けた*23。ただ、考えてみれば、業界の利害調整について、部外者から見れば不透明に見えることもあるわけであり、役人がやっている以上、公益のために議論しているはずだという信頼がなくなれば、なんでもいかがわしく見えてしまったということであろう*24。信なくば立たずである。⓾検察・警察への信頼と民主政治少し古くなるが、2001年の米ギャラップ社と読売新聞社の日米共同世論調査*25によれば、国家の統治に関する機関に対しての日本人の信頼度は著しく低い。首相6%、国会9%、中央省庁8%、それに対して警察・検察が19%となっていた。ちなみに、米国では、大統領66%、連邦議会63%であった。それは、日本の国民が、自らが選んだ政治家よりも政治家の腐敗追及を行う警察や検察を信頼するという民主主義国家としては極めて問題のある姿を浮き上がらせていた*26。そのように、国民が政治に不信感を持つようになった背景には、昭和49年の田中首相時代の金権選挙批判以来、政治と金がスキャンダルに直結するというステレオ*23) この時の証券局への取り調べでは、ベテラン職員に自殺者が出た。*24) 公務員倫理法について、倫理審査会の花尻尚会長が、ボート部の先輩だったことからお話を伺いにいったことがある。花尻会長は、公務員への国民の信頼が回復されて日本以外に例を見ないような公務員倫理法がなくなることを願って仕事をしているとのことであった。*25) 2001.1.18読売新聞*26) そのような姿の問題点を指摘しているのが、2019年にノーベル経済学賞を受賞したアビジット・バナジーとエステル・デュフロである(「絶望を希望に変える経済学」p385-387)。なお戦前、検察は、高橋是清を標的とした帝人事件を起こして検察ファッショと批判されたことがあった。戦後の検察については、「検察秘録」(村串栄一、光文社、2010)参照。*27) かつて、筆者は、政治家から、「霞が関というのは、霞を食って生きている役人の住処だから霞が関というのだ」と言われたことがある。霞が関の役人に、安月給にもかかわらず国家社会のために働いているという信頼が寄せられ、日本は、政治がだめでも官僚がしっかりしているから大丈夫と言われていた頃のことである。*28) 民主政治の運営を難しくしている現象に陰謀論の跋扈がある(「民主主義の壊れ方」p72-84)。ネット・メディアの発達は、当初考えられたように非民主主義体制を弱体化させるのではなく、むしろ強化しているとも指摘されている(同書、p178)。タイプが成立してしまったことがあろう。それまでは、井戸塀政治家という言葉もあり、政治献金には「浄財を集める」との感覚もあったが、今や政治と金は色眼鏡をかけてしか見られなくなってしまっている。かつては、検察が登場するのは、「巨悪を眠らせない」ということで、利権がらみで政策が実際にゆがめられるといった事案に限られていたのが、政治資金規正法で少額の領収書までチェックされることになり、すこしでも違反があれば検察の登場が期待されるようになっている。霞が関に関して言うならば、役人は天下りのことばかり考えているというステレオタイプが出来上がってしまった*27。その結果、公益法人などに優秀なOBが再就職することが難しくなり、公的部門の円滑な運営に支障が生じているように思う。日本の公務員数は、欧米諸国に比べて人口比で2分の1から3分の1だが、それで公的部門が回ってきたのは、優秀な役人のOBが公益法人などにいて役所の機能を補完していたところが大きかった。我が国の戦後の高度成長も、そのようなシステムの下に実現してきたのである。そもそも、退職後の天下りのことしか考えないのなら、優秀な人間は最初から役人になどならない。最近、東大の法学部では、役人にならないという人が多くなっていると聞く。しかしながら、それが日本の繁栄につながるのか、健全な民主政治を育てることになるのか、そろそろ立ち止まって考えてみる必要があろう。SNSなどのネット・メディアの発達は、世界中でワイド・ショー政治の極致を発現させて民主政治の運営の難しさを浮き彫りにしてきている*28。米国のトランプ大統領は、その難しさを見せつけてくれたともいえよう。チャーチルが、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」といった時の「最悪の政治」を目にすることになってきているのだ。井戸塀政治家を補佐する霞が関の本来の姿を取り戻すことの大切さが、高まってきているのではなかろうか。 ファイナンス 2021 Mar.55危機対応と財政(番外編-2)SPOT

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