ファイナンス 2021年2月号 No.663
82/92

水戸広さ約13万m2の園内には、約100種3,000本の梅が植えられ、かぐわしい香りが早春を告げます。梅の名所として2月下旬からの「梅まつり」が注目されますが、春には「桜」、初夏には真っ赤に色づく「つつじ」、真夏には鮮やかな緑が美しい「孟宗竹林」、秋には可憐な「萩の花」や「もみじ」、初冬には「二季咲桜」など、1年を通して四季折々の草花が来園者を迎えます。そのほか園内には、斉昭公が自ら設計したと言われる木造2層3階建ての好文亭(昭和33年復元)があり、家臣や領民を集め、詩歌や養老の会を催していたそうです。そして、好文亭の3階から眼下に広がる偕楽園や千波湖を眺めると、ちょっとしたお殿様気分を味わうことができます。ちなみに「好文」とは梅の異名で、「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」という故事に基づいて名付けられました。好文亭より偕楽園及び千波湖5江戸時代の総合大学平成27年4月に日本遺産に認定された「弘道館」は、「日本三大藩校のひとつ」とされ、偕楽園の開園の1年前、天保12(1841)年に、同じく斉昭公によって開かれた水戸藩の藩校です。建設に当たっては、財政難により反対意見もありましたが、「財政難の今だからこそ、人材育成のために教育を重視すべき」と水戸城内に建設を決め、そのために家臣の住居を移転までさせたそうで、このことからも人材教育に対する斉昭公の並々ならぬ思いが伝わってきます。当時としては最大級の藩校で、文武両道を重視し、武芸はもとより、儒学・歴史学・医学・薬学・天文学など、地方にいながら幅広い分野を学ばせるいわば総合大学というべきもので、明治5年に閉館するまで水戸学発展の中心となりました。江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜も5歳から11歳まで弘道館において教育を受けています。弘道館(正庁)と扁額「游於藝」弘道館と偕楽園は「一張一弛」の関係になっています。これは二つの関係を弓で例えたもので「弓を張ったり弛めたりすること」を意味しており、弘道館は「一張」で勉励を、偕楽園は「一弛」で休息を表しています。この斉昭公の素敵な教えは、現代にも通じるものがあり感慨深いものがあります。弘道館の目の前には、令和2年2月に復元された、高さ13mを超える木造2階建ての「水戸城大手門」が威風堂々とした佇まいを見せており、弘道館と併せてご覧いただき、幕末から明治にかけての激動の時代を駆け抜けた水戸藩士へ思いを馳せてはいかがでしょうか。水戸城大手門6笠間のおいなりさん笠間市にある「笠間稲荷神社」は「日本三大稲荷のひとつ(諸説ありますが…)」とされ、生命の根源を78 ファイナンス 2021 Feb.連載各地の話題

元のページ  ../index.html#82

このブックを見る