ファイナンス 2021年1月号 No.662
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店した。商業統計によれば、平成9年(1997)において丸亀町商店街を含めた中心市街地の売場面積が小規模なものを集めてなお16万m2だった。この規模感を踏まえれば、郊外に大挙して押し寄せた大型店がどれだけ大きな影響を及ぼしたかがうかがえる。丸亀町商店街の復活商業の郊外化とともに丸亀町商店街もシャッター街化の道を歩んだのか。否、地元有志の取り組みで復活を遂げ、平成26年(2014)には最高路線価地点が23年ぶりに丸亀町商店街へ戻ってきた。郊外分散と中心商店街のシャッター街化に悩む地方都市が多い中、丸亀町商店街の取り組みに再生のヒントがある。取り組みを一言でいえば全長470mの丸亀町商店街をAからGまで7つの街区に分け、それぞれ再開発ビルに置き換えたうえで、あたかも一体のショッピングセンターのような経営をした。平成18年(2006)第1号となるA街区の再開発ビル「丸亀町壱番街」が完成。翌年、これに繋がるドームができた(図4)。アーケードを架け替え、平成24年(2012)に最南端G街区の「丸亀町グリーン」が竣工した。B、C街区も大小の再開発ビルが竣工しており、目下D、E街区の整備が進む。計画は今もって進行中である。成功要因だが、まず前提となるのが、商店街振興組合の正会員が地権者、オーナーであることだ。それも全員が加盟している点に目を見張る。テナントは賛助会員の扱いである。一般論として、商店街の個店が店を閉めると利害関係が商店主から不動産賃貸業に変わる。そして商店街が元々持っていた雰囲気やコンセプトを顧みず、潤沢かつ安定した賃料が得られるテナントを優先的に入居させてしまう。周囲から浮いたテナント、偏った業種のテナントが入ってしまうことで商店街全体のバランスが崩れてしまいかねない。気が向かなければシャッターを閉めたまま住みつづけることもできる。歯抜けの状態がひとつふたつと増える度に商店街はシャッター街に近づいてゆく。丸亀町商店街の場合、かつての商店主が店をやめてなお商店街振興組合から抜けることなく、オーナーとして商店街全体の利害関係に留め置かれている。次は所有と経営の分離である。オーナーから利用権を切り離し、店舗経営を商店街が設立したまちづくり会社に委ねる。まちづくり会社は商店街の統一コンセプトに沿ったテナントミックスを講じる。オーナーは原則としてテナントミックスに口を出さないが、テナントミックスが的外れで業況不振を招いたときは責任者を更迭することはできる。まちづくり会社のポイントは店舗の入れ替えだ。コンセプトに合わなくなった店、売上不振の店は入れ替え対象になる。必要に応じて廃業支援も行う。業種業態や規模の大小問わず商業活性化の生命線は新陳代謝だ。新しい業態を誘致するのと同じ、いやそれ以上に廃業支援が重要と古川理事長は言う。ちなみに理事長の実家の野田屋電機も6年にわたり出店していた丸亀町の表通りから横丁の自社ビルに移転した。店頭販売から訪問主体の御用聞きビジネスへ業容を拡大したからだ。丸亀町商店街は外見こそ商店街だが、その実質はショッピングセンターである。コンセプトに沿った本部主導のテナントミックスを特長とする点でルミネやイオンモールに通じる。要するに商店街とショッピングセンターの「いいとこどり」をしたようなものだ。中心商店街から客足を奪った郊外の大型店の業態こそショッピングセンターである。奪われた客足を取り戻すには同じ業態で対抗するのが筋だ。考えてみれば、百貨店や総合スーパーに対抗する文脈で高度成長期に流行した個人商店の寄合店舗と対照的である。こちらは外見こそショッピングセンターだが寄合店舗の経営に本部の統制を利かせるわけではなく、各個店の自由裁量に任されている。体制面、運営面ともに商店街と変わらなかった。丸亀町商店街の運営ルールのひとつ、地権者に対する変動地代家賃制も興味深い。所有と経営の分離を経図4 商店街ドーム(提供)香川県観光協会63 ファイナンス 2021 Jan.連載路線価でひもとく街の歴史

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