ファイナンス 2021年1月号 No.662
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城下町以来の中心軸「丸亀町」高松城は今治城、中津城と並び日本三大水城と呼ばれる。今でこそ城の北面に道路と港があるが、その昔は城が海に面していた。堀には海水が巡らされている。周辺海域が玉藻の浦と呼ばれていたことから玉藻城の別称がある。人口42万弱の高松市には、財務省の四国財務局をはじめ国の出先機関や、民間企業の四国を統括する支社が多い。今に至る四国の要衝で、城下町の時代には志度街道、長尾街道、仏生山街道、金毘羅街道および丸亀街道の5つの幹線道路の起点があった。讃岐五街道と呼ばれ、いずれも高松城の外堀に架けられた常磐橋が起点だった。橋のたもとに高札があったことから「札の辻」とも呼ばれ、城下町の中心だった。高松城と城下町の境界線でもあった外堀を渡ると、城下町以来の商業中心地だった丸まる亀がめ町まちに入る。高松城築城の際、今の香川県丸亀市の商人をこの地に移したことが名前の由来だ。讃岐五街道のうち南に下る仏生山街道、金毘羅街道と重なる。外堀は埋め立てられ、今は市内一番の中心商店街「高松丸亀町商店街」となっている。常磐橋の跡は3つの商店街が交差する通称ドーム広場になっている。東向きの長尾街道、志度街道が由来の片原町商店街、西向きの丸亀街道と重なる兵庫町商店街。そして南向きの丸亀町商店街が交差する場所で今も昔も街の中心である。近代も兵庫町および片原町を東西軸、丸亀町通りを南北軸として発展した。丸亀町通りがメインストリートで、その北端、高松城の前面に香川県庁があった。地元一番行の百十四銀行の創業地も丸亀町通りのドーム広場の近くにある。今の高松支店で、大正15年(1926)に建てられた鉄筋コンクリート造2階建の重厚な銀行建築だ(図5)。昭和41年(1966)に移転するまでここが本店だった。当初の建物は現存しないが、岡山市が本店の中国銀行は昭和5年(1930)以来丸亀町に高松支店を構えている。みずほ銀行の前身のひとつ、安田銀行も丸亀町に店を構えていた。進出行の中ではもっとも古い明治45年(1912)の出店だ。出店時は二十二銀行(本店岡山市)の支店だったが大正12年(1923)に安田銀行が統合した。昭和6年(1931)には三越が開店した。三越の地方店の中ではもっとも早い。丸亀町通りでも県庁寄り、常磐橋の向こう側の「内町」にあり、今も高松を代表する百貨店だ。図1 市街図県庁高松城三越丸亀町外堀跡中央通りことでん瓦町駅常磐町トキワ街中央公園百十四百十四本店県庁跡ドーム広場常磐橋跡・戦前に敷設・戦後に敷設・戦後に廃止JR高松駅道路の種別市役所◎城下町時代の水面美術館丸亀町グリーン中堀跡兵庫町片原町ジャスコ・ダイエー跡(出所)筆者作成61 ファイナンス 2021 Jan.540C560C610C620C400D400D400D570C630C660C650C550C610C600C420D420D400D400D400D410D410D410D420D440D390D390D390D320D320D370D340D970C275D290D270D870C850C870C900C870C360D360D500D730C510C510C810C490D1,090C1,200C1,410C1,380C1,520C1,620C1,650C1,560C1,570C1,510C1,720C2,100C2,240C2,210C2,160C2,350C2,390C1,900C1,500C1,430C1,130C1,150C1,500C1,550C2,600C2,550C2,430C2,310C1,730C1,080C255E295E240E320D275D470D470D540C路線価でひもとく街の歴史第11回 「香川県高松市」最高路線価が中心商店街に戻ってきた街連載路線価でひもとく街の歴史

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