ファイナンス 2021年1月号 No.662
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ロセスを円滑に進めるために、利害関係者を傷つけないように余計な言葉は発せず、発したとしても「言語明瞭、意味不明」な「玉虫色の表現」に徹するというのが一つの形になっている。下手に言葉を使うと、「言葉の一人歩き」や「言葉狩り」につながるというので、十分な政策論争が行なわれないままに「空気の支配」が生じたりする。この状況は、日本語という言葉の背景にある日本文化からもたらされているところがあることから、その良しあしをあげつらうことは必ずしも生産的ではないであろう*20。しかしながら、日本以外ではそれが通用しないことを自覚しておくことが、グローバル化が進んでいる今日、日本の国益を守っていくためには必要といえよう。8米国人の交渉スタイル筆者が証券局の業務課(当時)補佐時代に関与した日米構造協議*21で、米国側は日本の金融慣行を無視した議論を展開してきた*22。米国にも、カリフォルニア州のユニタリー・タックスのように、日本から見れば極めて不合理な制度があったのに、それらについては米国における州の特殊な位置づけから交渉対象にならないといった論理で当方からの議論を受け付けずに一方的な議論を展開してきたのである。同様に、乱暴な議論を展開したのが、筆者が主計局の調査課長だった時のサマーズ財務長官*23だった。同長官は、クリントン政権の一員として、自国では財政健全化へ強力に舵を切っておきながら、財政状況のより悪い日本に対しては米国の貿易赤字削減のためにということでI-Sバランス論に基づく大幅な赤字財政を求めてきた。それは、当方から見れば、自分のことは棚に上げた、とんでもない「ダブル・スタンダード」の議論だった。ここで、我が国においては「ダブル・スタンダード」は悪という印象が強いが、欧米では必ずしもそうでないことを理解しておく必要がある。各国の利害が*20) 日本語のこの特性については、今後、探求していきたいと考えている。*21) 1984年2月から6回の協議が行われた。証券局長は佐藤徹氏だった。*22) 米国は、グローバル・スタンダードの名の下に日本等には規制緩和を求めて政府の力を弱めながら米国自身は強い国家を実現して自国の利益を守っているとの指摘がある(「成長経済の終焉」佐伯啓思、ダイヤモンド社、2003)。*23) サマーズは、米国人の中でも乱暴な議論で知られているとのことである("The Comprehensive Case Against Larry Summers"(The Atlantic Journal,Sep.13,2013))。*24) 戦前「英国は自国内でのみ民主主義を実行している」とされていた。最近の例では、米国がかつては日本に対して極東軍事裁判を行ったのに、オランダが同様のことをより体系的に行おうとしたことには強く反対し、また国際刑事裁判所の設立に対しても自国の兵士が裁かれないという保障がない限り参加しないとしていることがあげられよう。*25) 我が国の近代史についての英国や米国の学者の分析に、我が国では見られないような複眼的な視座があるのも、過去に行われたことについての健全な「ダブル・スタンダード」の感覚を踏まえた分析が行われているからであろう。厳しく対立する国際社会においては、ある国が国内で行っている原理と外国へ求める原理が違う「ダブル・スタンダード」が当たり前なのである*24。江戸幕府が諸外国に治外法権を認めた安政5年のいわゆる不平等条約について、我が国ではそれが不当なものだったとしか教えないが、諸外国から見れば商慣習の違う日本と取引をする以上、自国民を保護する上で当然のダブル・スタンダードに基づく取り決めだった(日本は、訴えられると弁護士もつかず、拷問によって断罪されるかもしれない国だった)。ちなみに、明治政府は、自ら不平等条約の改正に苦心惨憺しながら、李氏朝鮮(当時)に対しては同様の不平等条約を「押し付けた」が、それは明治政府が「ダブル・スタンダード」を理解していたからとも考えられるのである(朝鮮にも、日本では考えられないようなとんでもない刑罰が存在していた)。ちなみに、英国においては、社会のリーダーを目指す多くの学生は経済や法律ではなく歴史や哲学を学ぶとされているが、それは矛盾した人間の織り成す歴史や哲学を学ぶことを通じて、健全なダブル・スタンダードの感覚を身につけることが一国のリーダーとしての資質を高めると考えられているからであろう*25。実は、軍事力を背景としての力の外交を否定している今日のわが国こそ、諸外国と対等に渡り合っていくためには、そのようなリーダーが必要なはずである。なお、諸外国の中では米国の国民がダブル・スタンダードを理解しない傾向が強く、いくぶん我が国との類似性を持っており、時として外交べた(力による外交に傾きがち)といわれる原因になっているように思われるが、いかがであろうか。9ダブル・スタンダードと情報機関筆者に、外交におけるダブル・スタンダードを理解することの重要性を教えてくれたのは、岡崎久彦さんだった。高橋是清を中心とした戦前の財政史の背景を ファイナンス 2021 Jan.38危機対応と財政(番外編-1)SPOT

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