アップするために入学してくる者が多く、卒業すれば、新たな企業に高給で雇われて元を取るのである。既婚者も多く、中には、奥さんの働きで2年間支えられているという学生もいた。筆者も大蔵省(当時)での2年間の勤務後の留学で、留学直前に結婚していた。そんな学生たちが集まってホーム・パーティーをしたときに、筆者の家内が自分は夫と同じ東京大学の卒業で弁護士だ、裁判官にでもなれたと自己紹介した*12ところ、なぜ、あなたは公務員などと結婚したのかと問われた。米国の公務員は、安定しているが安月給でうだつが上がらないというイメージで、そんな公務員は相手にしないというのが、ビジネス・スクールに来ていた学生の奥方たちの感覚だったのだ。筆者は取らなかったが、ビジネス・スクールで人気があったのは、Small Businessの講座だった。何かやりたいことが見つかったら、明日にでも退学してSmall Businessを起業したいという学生もいた。起業は、学業優秀だから成功するとは限らない。スタンフォード大学のビジネス・スクールには、学業が優秀だったという学生だけでなく、全米のバスケットボールの選手だったといった学生、美術の展覧会で特選だったといった学生など様々な学生が集まっていた。美術の展覧会で特選だったという学生は、数学が苦手だったようで、企業会計の講義で教室の後方に座っていた筆者の隣に来ては講義内容についていろいろと聞いてきたが、ある日から突然来なくなった。企業会計の数的処理についていけずにドロップ・アウトしたのだと思われた*13。そんなスタンフォード大学のビジネス・スクールに、筆者が願書を出すと一月ほどで入学許可の電報が来た。後で聞いたところ、そんなにすぐに、しかも電報で入学許可が来たという日本人の留学生はいなかった。おそらく、筆者が学生時代に4年間ボート部に所属し、大学の代表クルーとして全日本選手権にも出場したことがあるというのが評価されたのだと思う。スタンフォード大学からサンフランシスコまでは高速で1時間ほどであるが、ある時、サンフランシスコに出かけての帰り、高速の出口でガス欠になった。幸*12) スタンフォードのロー・スクールで聴講していた。*13) スタンフォードのビジネス・スクールは、成績が悪くても退学させられることはないが進学が認められないというシステムで、生徒は自分からドロップ・アウトしていった。*14) その際、ワシントンにMead氏を訪れ、自宅に宿泊させてもらって旧交を温めた。い、出口にさしかかったところだったので惰性で高速を降り、そこから最寄りのガソリン・スタンドまで車を押していった。そのことを思い出したのは、筆者が退官後の2015年にスタンフォードを訪れた時のことである。当時、原油価格が100ドルを超える水準にまで高騰していた。空港からスタンフォードに向かう車の中で運転手が言っていたのは、最近まで高速道路のわきで、ガソリンを売る商売が流行っていたとのこと。カリフォルニア州でも、そんなことは違法なはずだが、ガソリンの値段が上がって儲かるとなれば取り締まられない限りやる人が出てくるのが米国なのだ。起業のチャンスがあれば、名門のビジネス・スクールでもいつでもドロップ・アウトしてチャレンジするという学生がいるのが米国なのだ。その時の訪問では、サンフランシスコのホテルに宿を取ったが、意外だったのは、サンフランシスコに乞食が相変わらずいることだった。筆者が留学していた35年前のサンフランシスコと同じ光景が展開していた。当時と比べて米国ははるかに豊かになっているはずなのに、極めて豊かになる人がいる一方で貧しいままの人がいる。それが、今日の米国の姿なのだ。7争いになることを恐れずに議論するのがグローバル・スタンダード2015年にスタンフォードを訪れたのは、卒業35周年の集まりに家内ともども出席するためだった*14。その際のパーティーで、家内が「タカシ(筆者の留学時代の呼び名)の英語は難しかった」と言われたとのことで、あなたの英語はよく通じていなかったみたいよと面白がっていた。筆者にも、その自覚はあって、2年たっても、あまり英語が上達したという感覚はなかった。しかしながら、それでも最優秀学生として表彰されたのである。自分の関心があることについては、当方が内容のあることを言おうとすれば、とにかく理解しようとするのが米国人である。「タカシの英語は難しかった」というのは、当方が下手な英語でとにかく説明に努め、先方が理解しようと一生懸命だったということである。ということで、家内からは面白 ファイナンス 2021 Jan.36危機対応と財政(番外編-1)SPOT
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