ファイナンス 2021年1月号 No.662
39/100

才能を磨いてきた人が多いように思う」というのである。2スタンフォード大学ビジネス・スクール掲げさせていただいたのは、1980年、筆者がスタンフォード大学のビジネス・スクールを卒業した時の読売新聞である。筆者は、卒業にあたって、日本人留学生として初めて、そのクラスに最も貢献した学生として表彰された。それは、本人にとっても意外だったが、2年間の留学期間中に日本の経営スタイルについての学生の勉強会*5を主催したことによるものだった。米国のビジネス・スクールは、世界で通用するビジネスの手法を学生に身に着けさせるところだ。筆者が留学していた1970年代の終わりは、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンといわれていた時代で、日本のビジネスの手法を何とか学びたいという学生が多かった。入学してしばらくたったある日、一人の米国人学生*6が日本のビジネスの手法についての勉強会を立ち上げたいと言ってきた*7。それに対する筆者の最初の答えはノーだった。そもそも、自分は役所からの派遣で民間のビジネスなど知らない。また、日本のビジネスの手法などと言っても、当時、日本の企業が海外に派遣する社員に言っていたのは、一日も早く現地に溶け込んで現地のやり方を身に着けて成果をあげてほし*5) US-Japan Business School Student Association。その後、US-Asia Business School Student Associationとなっている。*6) Chris Mead.同氏は、後に米国商工会議所の上級副会長(Senior Vice President)になり、2014年にThe Magicians of Main Street:The Story of Chambers of Commerce in America,1768-1945.という本を著している。*7) 当時、カリフォルニア大学のビル・オオウチ教授が、米国型の組織と日本型の組織の違いに基づいた経営手法の違いを分析した「セオリーZ」を唱えて注目されていた。*8) ソニーが、大蔵省(当時)から銀行業の免許を得られないので、生命保険会社を創った話。社員が、スパゲティーをゆでる機械を発明したので、独立させてアルデンテ(イタリア語で「ゆでごろ」という意味)というレストランを銀座に出店させた話なども伺った。いということで、日本のビジネスの手法を実践しろなどと言っていた企業はなかった。スタンフォードのビジネス・スクールには、当時10人ほどの日本人留学生がいたが、そのほとんども米国流の経営手法を身に着けて来いということで企業から派遣されてきた人たちだったのだ。しかしながら、一度くらいノーと言われてもあきらめないのがアメリカ人である。お前は役所出身でも、民間企業出身の日本人留学生はたくさんいるではないかというのだ。そこで、企業から派遣されていた同級生に相談したところ、日本の経営者などを呼んできて話を聞くというのでどうだろうかということになった。勉強会は、言い出しっぺの米国人学生と私を共同代表として始まり、米国で活躍している東京銀行(当時)や日産の現地法人の社長、ソニーの盛田会長などに来ていただいて話を聞いた。日本で活躍しているコカ・コーラやレブロンなどの米国企業の日本法人の代表にも来ていただいた。特に印象深かったのが、ソニーの盛田会長で、ビジネス・スクールの講堂が満員という盛況となり、学長との昼食懇談会も大好評だった。筆者も、盛田会長の英語が発音は日本流で文法的にも必ずしも正確でないが、ジョークもこなす臨機応変の発言ということに強い感銘を受けた*8。3米国流の他文化理解それにしても、そのような勉強会で日本流の経営について、米国人の学生たちがどこまで理解したのかは疑問だった。しかしながら、うまくいっているのだから、何かノウハウがあるはずで、それをできるだけ学ぼうというのが米国流である。日本人の感覚で行けば、そうはいっても文化や風習の違いがあるので、本当のところは理解できないのではないかと思ってしまう。今日、思い返しても、戦後出来上がった終身雇用制という日本独特の雇用慣行などを理解していなければ、日本流の経営についての理解は不十分だったはずだと思う。しかしながら、理解できないなりに理解し ファイナンス 2021 Jan.34危機対応と財政(番外編-1)SPOT

元のページ  ../index.html#39

このブックを見る