ファイナンス 2021年1月号 No.662
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危機対応と財政をめぐるリーダーシップは国によって様々である。米国のトランプ大統領のようなリーダーの登場は日本では考えにくい。その背景にあるのが、歴史的に形成されてきたリーダーを支える国民意識の違いである。その違いを認識しておくことは、グローバル化が言われる今日、大切なことと言えよう。ここで述べる筆者の認識は、主として2年間の米国留学という限られた経験に基づくものであるが、読者諸賢の参考になれば幸いである。1欧米におけるリーダーの育成欧米におけるリーダー育成の姿は、中西輝政氏*1によれば以下のようなものである。「イェール、プリンストン、ハーバードといった大学では、そこに学ぶ学生には、自分たちこそ20年後のアメリカをリードする人間という意識をはっきりもたせて教育している。学生の側も、はっきりそういうエリート意識と使命感を当然のこととし、その日に備えて勉学にいそしんでいる。イギリスでもオックスフォードやケンブリッジでは20歳そこそこの学生が早くから下院議員を目指し、あたかもすでに次代の国のリーダーとして、ある政策課題をどう決断すべきかについて厳格な雰囲気の中で自らの人間性と専門的な知識をもとに、毎週のように活発な議論を交わしている。(中略)人材育成に対する国家としてのすさまじい執念と徹底した合理的なものの見方を、日本はなぜか明治以来、学んでこなかった*2。」このような西欧のリーダー育成教育に対して、我が*1) 「日本の『敵』」中西輝政、文春文庫、2003*2) 明治以来、我が国の教育に受け入れられなかったものに修辞学(弁論術)がある。修辞学は古代ギリシャ・ローマ以来の学問で、多数を相手に、まずは相手に自分の熱意を感じさせて聞こうという気持ちにさせ、説得につなげていく意思疎通の基本的な技術である。*3) 「障害児教育とエリート教育」学士会報No.836*4) 教育現場では、平成25年度から実施されている高等学校の新学習指導要領で「読み・書き・聞き・話す」という4技能を別々に学ぶのではなく統合して学ぶというコンセプトがこれまで以上に明確に打ち出されており、ディベート教育の重要性が認識されるようになってきている(平山たみ子、「新学習指導要領の授業」https://bun-eido.co.jp/school/highEnglish/ujournal/uj71/uj710609.pdf)。国では、明治時代以来の全員一致を良しとする教育が、江戸時代の全員一致にあったお互いの人格を尊重するという本来の在り方を忘れた姿で行われて、エリート教育が失われてしまっている。そのことを、象徴しているのが「いじめ」である。星山麻木鳴門教育大学助教授*3によれば、それは以下のようなものである。「学生時代、いわゆる有名中学校を受験する小学生を塾で教えた。ある日、小学五年のクラスに帰国子女が入ってきた。質問に手を挙げて、すぐ答え、次々質問し、自分の意見を発表した。そして二日後、必然的にその生徒を標的にした、いじめが始まった。その生徒はやがて発言しなくなり、答えをわざと間違え他の子を安心させては、周囲を笑わせる能力を身に付け、クラスに適応していった。才能に恵まれた子どもは自分の能力を発揮することより、人に嫌われぬ努力をせねば日本ではうまく生きられない。そして、それは言うまでもなく子ども社会に限った話ではない。(中略)公的なエリート教育の試みが少しずつ始まろうとしているが、不安感を覚える人は少なくないだろう*4。(中略)秀才、天才と言われた人は、優れたリーダーになる素質を持ちながら、子どもの頃、他の友達と理解度の歩調を合わせること、決して目立ちすぎてはいけないこと、時には教師の好く生徒像を演じることを学び、わからないふりをして過ごした経験が少なからずあるのではないだろうか。(中略)周囲を見渡すと才能に恵まれた多くの人が海外で伸び伸び活躍しており、また日本のリーダーの中には海外で教育を受け、その危機対応と財政(番外編-1)各国のリーダーシップの違いの 背景にあるもの国家公務員共済組合連合会 理事長 松元 崇33 ファイナンス 2021 Jan.SPOT

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