ファイナンス 2020年12月号 No.661
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自殺を予告した有名な手紙があった。(本書をこれから読もうとする方のために、これ以上筋を辿ることはやめておこう。そもそもこの優れた小説を要領よくまとめることなど私の能力を超えることである。)今この年齢になって「1934年」を読み返してみると、本書は、出版時74歳のモラヴィアが、若い頃からずっと気になっていた情景や人物や時代の空気といったものを、官能的な恋愛小説という形式を用いてまとめたものなのではないかという気がしてならない。そう考えてみると、劇中劇としては長すぎるように感じられる年配のロシア女ソーニャと警察のスパイであるアゼーフとのロシア革命前夜の異様な恋愛譚や、結末寸前のところで展開される美術蒐集家シャピロとの禅問答も納得がいく。エヴノ・アゼーフは実在の反革命スパイであり、警察に内通しつつ社会革命党内に要人暗殺組織を結成し、内務大臣やモスクワ総督セルゲイ大公の暗殺に関わる一方、当局に情報を流し、同志たちを逮捕させた。やがて内通を疑われるが、査問の寸前逃亡し、その後は株の売買で成功するなど波瀾万丈の数奇な一生を送った人物である。シャピロのモデルは、訳者によれば、イタリアルネサンス研究で著名な美術史家であり、モラヴィアにとってなつかしい人でもあるバーナード・ベレンソンとのことである。おそらくモラヴィアが本書の中でもっとも描きたかった情景は、ヒトラー総統の緊急放送をラジオで聞くために、宿泊先のカプリ島のペンションのサロンに集まったドイツの大学や中学の教員たちを中心とするドイツ人観光客の一団の「演技」振りであったのではないかと思う。第一次大戦で片腕を失った歴史教師が、別の教師と学生決闘(メンズーア:ドイツの学生たちが行う顔を斬りつけて行う決闘。深刻な怪我や死亡に至らぬよう流血の時点で終了となる)の意義について議論し、これに否定的な見解を述べて中座すると、皆が、彼が「不健全でデカダンなインテリ」であり、「健全で建設的なドイツ文化」と一致しない旨を言い立てる。自分の感情を偽り、自分の抱くのとは遠い意見を口にして、自らに「インテリ」であるとの批判が及ぶのを防ごうとするのだ。ベアーテもまた絶望から逃れるために、演技し創作する。演技しなければ生きられない社会は恐ろしい。21世紀の現代にあって、そういう国は我が国の周辺にもありそうだし、我が国でも、心にもないことを言わないと吊し上げ同様の目に遭う場面も少なくないように思う。訳者のあとがきによれば、モラヴィアは一時書名として「絶望と演技」を考えていたという。なお、小説中で緊急放送で伝えられる総統への謀反は、「長いナイフの夜事件」であり、ヒトラー、ゲーリングらの指示により、エルンスト・レームら突撃隊幹部、元首相のクルト・フォン・シュライヒャーなど党内外の多くの者が裁判抜きで粛清された。前述のように私は、モラヴィアの内心における本書の位置づけを、気になっていた情景や人物や時代の空気を恋愛小説というスタイルでまとめたモラヴィア流の覚え書きといったものではないかと、根拠もなく勝手に思い込んでいるのだが、言うまでもなく本書の小説としての芸術的完成度は高い。柄にもなくうっとりした午後を過ごした。午後遅く読み終えて起き上がると、ビールを飲みたくなった。今夜はビールにあうおかずにしよう。ビールとくれば餃子だが、このところ白ワインにはまっている家人への配慮も重要である。熟慮の上、晩の献立は、前菜としてワインにもあうお洒落系の揚げ餃子を三種用意した上で、鶏ささみの中華スープ、メインは安上がりに麻婆豆腐、最後に五目チャーハンにすることにしよう。いずれもなかなか美味。本書の中で、美しいヒロインが猛烈な食欲で絶望を抑えこもうとする場面がある。主人公の目の前で、スパゲティとスープを二人前、主菜を二人前、デザートを二人前食べる。私は、何かを抑えこむという目的もなく、ただ純粋な食欲から、揚げ餃子と麻婆豆腐と五目チャーハンを各二人前超食べ、食後に草餅と月餅とアイスクリームを食べた。84 ファイナンス 2020 Dec.連載私の週末 料理日記

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