ファイナンス 2020年12月号 No.661
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私の週末料理日記その4211月△日三連休の中日新々今日は三連休の中日だが、何の予定もないので、朝起きるととりあえず散歩に出た。歩きながら、先日尊敬する先輩とお話した折に、「インターネット社会は人間を馬鹿にする」とおっしゃっていたことを思い出す。会食の席でもあり、すぐ次の話題に移ったのでその具体的な意味をおたずねする機会がなかった。あれこれ考えてみると、インターネットの利便性が人間をお手軽志向にしていくということかと思う。何かを知りたいときに、スマートフォンをちょっと触れれば、簡単に検索出来てそれなりのことがすぐにわかる。まことにお手軽であるが、ちらっと見てわかった気になってしまう。その結果、わかりやすさが正確さや意味の深さよりも重視され、「キャッチーなフレーズ」とやらがやたらに評価されるようになる。これがワンフレーズポリティックスやシングルイシューポリティクスと言われる傾向につながっていくのかもしれない。インターネットの大きな意義は、誰でもが簡単に情報や意見を発信できるということだ。しかし、ネット上に発信される情報には、失礼ながら愚にもつかない内容のものも多い。それどころか、真偽のほどが定かでない情報をリツイートする人もいれば、他者を誹謗中傷したりする人もいる。匿名発信の気楽さが無責任につながるわけだ。先輩がおっしゃったのは、インターネットの手軽さ、気軽さの問題点だったのか。…生意気なことをぶつぶつ言っているうちに自宅の前に着いた。インターネットの功罪はともかく、私自身についていえば、近年本を読まなくなった。老眼が進んだからというのもあるが、かつてならハードカバーの本を開いたであろうちょっとまとまった時間にもネット配信の映画を見るようになった。偉そうなことを言っても、手軽さには中々勝てない。先日図書館で、昔読んだモラヴィアの「1934年」(アルベルト・モラヴィア著、千種堅訳、早川書房、1982年)を借りた。しかし、鞄に入れたまま、1頁も読まないうちに返却期限を迎え、むなしくそのまま返したことであった。散歩から戻って、こんがり焼いた食パンに分厚くバターとブルーベリージャムを塗って、三連目玉焼きと一緒に食べる。もう一枚バターとパイナップルジャムをのせて食べたら、再度モラヴィアにチャレンジしたくなった。図書館に出かけてもう一度「1934年」を借りてきて、寝転んで読み始める。読み飛ばす性格の本ではないので、はじめはなかなか読み進められず1頁ごとに休憩していたのだが、いつの間にか熱中して、午後までかけて読み終えた。若い頃読んだとき、同書の印象は官能的な恋愛小説だった。あるいは、生きるのに絶望しながら死にたくなくて、絶望をいわば「固定的な」ものにしたいと試みるインテリ青年と、絶望の論理的解決として一緒に自殺する道連れを求める女優を描いた小説だった。…カプリ島で、ドイツ文学を専攻するイタリア人青年ルーチョは、若いドイツ人の人妻ベアーテと出会う。ナチスの突撃隊の幹部らしい夫と一緒の彼女の緑色の瞳の中には、ルーチョと同じ絶望があった。二人の意思疎通は、劇作家ハインリヒ・フォン・クライストの書簡集を通じて深まってゆく。34歳のクライストは1811年11月ポツダム近郊の湖畔で、がんを患った人妻ヘンリエッテ・フォーゲルとピストル心中した。(二人の関係は自殺の途連れであって、恋人ではなかったとされる。)ベアーテが届けてきた書簡集には栞が挟んであり、その箇所にはヘンリエッテが友人に ファイナンス 2020 Dec.83連載私の週末 料理日記

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