ファイナンス 2020年12月号 No.661
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車線化を果たした富山高岡バイパスをはじめ、広い道幅の道路が市街地を囲むようにできていった。ロードサイド店は80年代から増え始め、昭和62~63年に2店の大型モールが富山IC近くに出店。商業面積が30,000m2弱増えた。総曲輪エリアの2つの百貨店を合わせてなお上回る商業集積が新たにできた。90年代は団塊ジュニアの免許取得や軽自動車の普及で一家に2台目の乗用車を持つようになった時代だ。平成10年(1998)に21,000m2、平成12年(2000)には当時県内最大の35,000m2の大型モールができた。他方で総曲輪エリアの衰勢は否めず長崎屋は平成14年(2002年)に閉店。平成18年(2006)には西武百貨店が撤退した。商店街にはシャッターを閉めたままの店が目につくようになった。住まう街への再生富山市は、鉄軌道をはじめとする公共交通を軸に、沿線に商業、業務、文化等の都市機能を集積させる「コンパクトシティ」をまちづくりの基本方針としている。徒歩圏でまとめた都市機能の単位を「お団子」、拠点間を結ぶ公共交通を「串」に見立てた都市構造を掲げている。車社会の課題を見据え、歩いて暮らせるまちを目指す。その中で、総曲輪エリアは住まう街としての再生を目指しているようにうかがえる。このエリアでは再開発が相次いでいる。平成19年(2007)、総曲輪フェリオが竣工し核店舗として大和百貨店が進出以来の地から移転してきた。店舗面積は32,000m2と郊外大型店とそん色ない。大和百貨店の跡地にはTOYAMAキラリが建った。10階建ての3階から6階まで市立図書館である。富山第一銀行の本店も入る。目に見えて増えているのがマンションだ。今年、西武百貨店の跡地が再開発ビル「WAKURU(ワクル)」になった。23階建ての高層マンションで、4階以下が商業施設「SOGAWA BASE(総曲輪ベース)」だ。図3は総曲輪エリアの路線価を40年前と比較したものである。閉店時の報道によれば長崎屋の売上ピークは昭和59年(1984)。その前後の商店街の全盛期には最高路線価地点を中心に地価が高いエリアが東西に広がっていた。対して現在は総曲輪フェリオから西武跡地までに限られている。目につくのは路線価10万円未満のエリアが拡大したことだ。中心地としては総曲輪よりも古い中央通りだが、その半分以上が周辺の住宅街に溶け込み同等の価格帯になっている。図3 路線価の比較1059371646358461809898931207891822102102302301551501301209998165370400西武百貨店430310170190長崎屋17517595タイヨー220300530530570580570570550520430410230330440215北陸銀行180220270270380520420420260260210230280500310260220220110130320大和百貨店12510595826456565049482002051602051806166636553699715515516016584736760565155190210180175旧西武2001906370676555561803203203203201351351108962566718519516521020081北陸銀行71562152152302201601601151151651751801951501351051056874125TOYAMAキラリ757371140120170125160 大和百貨店(総曲輪フェリオ)520380210832102101409393昭和55年(1980)令和2年(2020)(千円/m)260220240総曲輪通り←→中央通り(出所)国税庁路線価から筆者作成60 ファイナンス 2020 Dec.連載路線価でひもとく街の歴史

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