ファイナンス 2020年12月号 No.661
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株式会社ウェイブダッシュが地域情報サイト「生活ガイド.com」で調査した「全国住み続けたい街ランキング2020」で富山県富山市が第1位となった。住みよい街、暮らしやすい街のランキングでしばしば目にする富山市はコンパクトな街づくりでも知られている。伝統的な中心地の総曲輪昭和35年(1960)の富山市の最高路線価地点は「紀伊国屋染料店前総曲輪通」(図1)。染料店は当該路線の西端にあった。目印の店は何度か変わったが、平成3年までこの場所が市内で最も高かった。総そうがわ曲輪は富山城の外堀の縁の道で名前の通り城域の境界線を示している。地図に示した外堀跡からわかるように往時の富山城は今の城址公園の6倍近く広かった。城址公園の北側、向かい側の県庁・市役所の前に松川が流れる。川べりの桜並木は県内有数の花見スポットで「さくら名所100選」にも選ばれた。今でこそ遊覧船がたゆたう穏やかな川だが、明治の中頃までは県庁の向こう側まで川幅がある大きな川だった。市街の西側を迂回する神通川は元々松川の流れが本流だった。富山の城下町は蛇行する神通川の河岸につくられた。北と西の守りは盤石な一方、通行不便で水害にも悩まされた。城下町に入るのに神通川を渡るが、川幅広く水量も多いので「舟橋」を架けた。現在の舟橋は街道に架かる橋の名前だが、藩政期は船を横一列に並べてその上に板を敷いた舟の橋だった。最も多いときで64艘が並んだ。富山の城下町は神通川舟運の拠点でもある。川湊はいたち川と合流する「木町の浜」にあった。川湊の後背地には商業が発展し北陸街道に沿って大店が軒を連ねていた。北陸街道と、北陸街道から分岐する飛騨街道が交差する辺りが中心地だった。明治に入り外堀跡の総曲輪が加わる。総曲輪に続く中央通りは北陸街道の一部で、元々は西から中町、袋町、東四十物町に区分されていた。明治12年(1879)、北陸銀行の前身のひとつの第百二十三国立銀行が創業したのが中町。明治16年(1883)に現在地に本店を移した。現在の本店は大通りを向いているが、当時の地番が袋町だったことか図1 市街図県庁◎富山城北陸街道総曲輪岡部呉服店跡(現)TOYAMAキラリ(旧)大和百貨店市内電車・本線西武(旧)いたち川木町の浜桜橋電車通り神通川の旧流路最高路線価桜橋ビル電気市役所大和舟橋外堀跡西町交差点(出所)筆者作成58 ファイナンス 2020 Dec.540C560C610C620C400D400D400D570C630C660C650C550C610C600C420D420D400D400D400D410D410D410D420D440D390D390D390D320D320D370D340D970C275D290D270D870C850C870C900C870C360D360D500D730C510C510C810C490D1,090C1,200C1,410C1,380C1,520C1,620C1,650C1,560C1,570C1,510C1,720C2,100C2,240C2,210C2,160C2,350C2,390C1,900C1,500C1,430C1,130C1,150C1,500C1,550C2,600C2,550C2,430C2,310C1,730C1,080C255E295E240E320D275D470D470D540C路線価でひもとく街の歴史第10回 「富山県富山市」「住みやすい街」のコンパクトシティ戦略連載路線価でひもとく街の歴史

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